やぎの目に戻る


赤いのは死ぬかと思った大賞ノミネート作品

 

目の前でセスナが墜落

あれは僕が小学校3、4年生の時です。 全校生徒で校章の人文字を作り、写真を撮ってくれるセスナ機を待っていました。 みんな、人文字を作るなんて初めてで、ワクワクしながら空を見上げていました。 そして、セスナ機がやってきました。 「来たぞー!! 」 田舎者の小学生は大騒ぎです。 セスナ機の異変にも気が付かずに...

そして、全校生徒が見ている前で、セスナ機はお約束かのように、 学校のアスレチックのある山に落ちました。 もちろん、みんな飛行機の落ちる瞬間なんて見たことなく、 「あれは嘘の飛行機で、もう一機来るんだよ。」 「写真の道具を落としただけだよ。」 などと、呑気な事を言っていました。 その向こうでは必死に現場に向かう先生たち。 そのうち泣き出す女の子とかいて、かなりパニックになりました。

そして、数分後、新聞社のヘリコプターが上空に到着して、騒々しくなりました。 この状況じゃ、授業はできないと思った先生。 何故か僕たちは百人一首大会。 そして、たくさんのレポーターのいる中を、堂々と集団下校。 嘘のような本当の話です。

今思うと、死ぬかと思ったわ。

23歳 学生。

   

車の中でうんこ

あれは忘れもしない4年前です。 プー太郎だった私は、家の人には「仕事に行ってくる」 と、毎朝車で出かけていました。 コンビニでコーヒーとパンを買い、いつも時間をつぶしていた公園の駐車場に車を止め寝ていました。 その日は朝から腹の具合が悪く、なかなか熟睡が出きず そうこうしていたら突然、強烈な腹痛が襲ってきました。

いつもなら、段階を経てMAXに達するのですが、 その日はいきなりMAX(我慢限界)になってしまったのです。「ヤバッ!」と思い、 急いで公園の便所に行くと、、、、 「冬季使用出来ません・・・!!」みたいなことが書いた 紙が木の板に張ってあり入り口がふさいであるんです。 急いで車に戻り、便所を探しに行こうにも、車の運転すら ままならない状態になってました。 小さいオナラを、だましだまししてたけどもう限界・・・ そうなると、「もうどうでもいいや、漏らしちゃえ」みたいな感じにさえなってまっていました。

ふと、その時・・・「まてよ、、、俺の車は窓がスモーク、しかもワンボックスこれはイケル!!」 と思い、車を一番奥(前はブロック壁)とにかくフロントには人がこない場所に移動させ、 コンビニの袋を握り締めて車内の後ろ(荷物を乗せるスペース)に行き土下座の様な座りかたをして袋の中に 「ブリブリブリ~~~・・・・・」 車内にオナラの濃~~い匂い(便所でした時とは明らかに違う匂い)がした。 急いでちょうどあった軍手で拭き取り、その袋を窓から捨ててその場を立ち去りました。

もし人に見られたら、私はどの様な行動をとっていたのだろうと考えたら今でも 恐ろしく、あの袋は誰がかたずけたのかは、今でも謎です。あの時は、「本当に 死ぬかと思った。」

29才 男

 

スキーで半回転

去年の冬ファンスキー(スキーの短いやつ)を手に入れたので、 3泊5日で友達とはりきってスキーに行きました。

初めは小さなコブで慎重に飛んでいたのですが、 慣れと共に、徐々に大胆になってきました。まだろくに飛べないのに。 より大きなコブを探そう、と言うことになり、リフトを乗り継ぎ、 ついに見つけました。それはそれは巨大なコブ。 しかも周りには人がいなかったので、人目を気にすることなく練習出来そうです。

友人の警告を振り払い、勇気リンリンでそのコブに向かって加速をつけました。 遠目で見ていた以上にそのコブは大きく、近づくにつれてビビり始めました。 しかし、時すでに遅し。 しかも、そのコブはバンク(反りかえっている)していました。 当然避けられるはずもなく、 後ろのめりのままバンクしたコブに突っ込みました。

一瞬、足元がツルッと滑ったのがわかりました。 そのまま私は無重力を感じ、空を見ていました。 周りの景色が著しく変化して行くのを感じました。 そして、後方にいるはずの友人が逆さまに見えた時、 「あれ?何で??」と思い、自分が回りながら飛び続けていることを ようやく実感しました。

ゴツン!という音と共に雪面に叩きつけられました。頭から。 しばらく動けませんでした。痛みも 何も感じません。回りは真っ白な世界。

すぐに友人が駆け付けてくれまいしたが、訳がわかりません。 照れ隠しに何か気の効いたギャグでもかまそうかと思うのですが、 興奮して上手く舌が回りませんでした。

頭を触ってみると、血がベットリ。病院にも行かずにほっときましたが。 後に友人に聞いたところ、私はまるで無抵抗に、両手をバンザイして オリンピック級のハイジャンプで、巨大なコブの向こう側に逆さを向いて 消えていったそうな…。

ほんま、死んだと思ったわ!

雪上の臨死大学生 20才 ♂

   

抗生物質を服用後、ドラムで脱糞

ある抗生物質を服用した後にドラムの練習をしてしまったんです。 これが結構な運動になるものなのですが、20分くらい練習してから横になって テレビを見ていると、あごから後頭部にかけてと手足の先がしびれてきました。

だんだん息が荒くなり、目が充血し始めたところで薬を飲んでいた事を 思い出したのですがもう後の祭りで、次はもうれつな吐き気が襲ってきて トイレにかけ込むことになりました。便器を抱えるようにして吐いていると、 今度はもうれつな便意が襲ってきました。しかし、意識が朦朧として 立ち上がる事が出来ず、根性?で何とかパンツは下ろしたものの、そのまま ユニットバスの床に脱糞。すると、出すものを出したせいか、しびれが治まり 意識も回復し始めたのでとりあえずベッドで横になることにしました。

もう大丈夫か?と様子を見ていたのですが、やはり大丈夫ではなく腰に強烈な かゆみがはしり、服を脱いでみると全身に真っ赤な発疹が出来ていました。 再び息苦しくなり始めたので、本当にまずいと思って、夜中4時の尾竹橋通りを 、体中を掻きむしりながら、すぐそばの救急病院へ向かいました。 「運動はまずかったねぇ。」 「そうみたいっすね。」 「この発疹が喉まで行くと死ぬからね。」 「うげぇ。」 「ま、この点滴でなおるよ。」

・・・近くに救急病院があって良かったです。本当に点滴一本ですぐに治りました。

家に戻って風呂場のうんこを掃除しながら思いました。 死ぬかと思った。

 

鼻にさしたタンポン抜けず

私は若い頃から花粉症で悩まされています。そのときもひどい症状に 悩まされ、当時付き合っていた彼女のタンポンを私の部屋で発見!

「そうだ!これを鼻につめれば、生理中の女性が使用するくらいなんだから 鼻水は余裕で大丈夫」と思い鼻に詰めました。効果はてきめん。ラッキー! しかし30分、1時間と経つにつれ鼻水でタンポンがふくれあがりどんどん 鼻を圧迫してくるのがわかりました。「これは抜けなくなる」と思ったときには 時すでに遅し。

タンポンはパンパンにふくれあがり、完全に抜けなくて、 もう痛くて、痛くて何とかほぐせないかと努力したけどそのうち鼻のあなが 裂け始め鼻血が出てきて、もう鼻水と鼻血を吸ったタンポンはものすごい大きさに なっていました。まるでマイクタイソンの鼻のようです。息は出来ず酸欠の金魚のように 口をパクパク。

あきらめて病院に行き処置してもらいましたが、 そのときの先生と看護婦さんは全員笑ってました・・ だってマスクと鼻は血まみれ&鼻水まみれ・・鼻のあなから糸がたれ・・

死ぬかとおもった

   

崖下に車が落ちる

それは、私がまだ26歳の頃に起こりました。当時、わたしはクルマのラリー競技にはまり夜な夜な林道で 練習していました。

良く行く林道に友人数台とともに出かけ、まずは安全を確かめ下見そして何回か交代でタイムを計測し、どこが悪いだの話して 友人のクルマに同乗しました。

友人は快調に走り続け、「ペースが速いなあ このあたりはがけも深いし・・ちよっと怖いなあ」と不安がよぎり出した そのとき予感的中!ある右カーブでコースをはみ出て ふらつきそのままがけへ!「ザザザッァアアー・・」

シーン・・・クルマは半分がけをのぞきそのまま引っかかり 微妙なバランスで止まりました。私は助手席でがけの上にいます。 ここは落ちたら20mはあります。下は暗くて見えません。 かなりのものです。クルマはゆれてます。 友人が「ごめん。ここ、がけ深いな・・早くおりないと・・」 一息ついて友人がクルマからおりようとしたら、クルマが 大きくがけへかたむきます。

クルマは私と友人の体重バランスでがけに落ちずに成り立っていたのです。 少し動くと本当にすごくゆれます。一寸身体を動かすだけでもゆれます。10分ほど経過し、私は(小)を異常にもよおしました。 私(心の中)「もう我慢できん!」私「おい、俺おまえの上に行くで 抱いてくれ!」友人「抱く?あぶないよ・・」私「やかましい!抱けっちゅうの」 友人「・・・」私「行くぞ!ドア開けときやあ、抱いたらすぐ飛び降りい~」 私「体になにもひっかけるなよ!すぐ降りろよ~」友人「・・・」 私(心の中)「もうおしっこ我慢できへんのや」 私「いくで~!」イチ ニノ サ~ン!電光石火でした・・

振り返って見るとクルマはスローモーションのようにがけへ消えて行きました ・・数秒後・・ガシャアア~ン ガン ガン ガン・・ 私はなにも言わず尿意を思いだし、ついでにクルマは?とがけへ 向かいました。クルマは見えません。 「それにしても、ジョジョジョ~ああきもちいい~ でも死ぬかとおもった・・」

生きているおっちゃん 39歳

 

 

診察台で放尿

ある日、急におしっこの出が悪くなりなんか痛い・・ わるい事をした覚えもなく「なんだろう?」と思い泌尿器科へ直行。

病院に行くとちょっと年配の先生とわかい看護婦さんが3名。「いやだなあ診察 看護婦さんも見るのかなあ」と考えていたら案の定先生と他2人。「はいパンツ脱いで ここに仰向けになってください」「しかたない!ここは病院」と覚悟を決め横に・・ 緊張と恐怖と羞恥が入り混じり私の息子は冬のち○こより小さく縮み・・ は、恥ずかしい。

「はい尿道に管を入れますよ~ちょっと痛いですよ~」「ゲッ!めちゃくちゃ痛い・・」 「う~ん別に悪いところはないねえ」「性病でもないし・・」 ついでに前立腺の腫れをみるのに肛門に指を突っ込まれグリグリ・・ 「これもすげえ痛い」

そして事件が・・診察が終わり管を尿道から抜くとき、普通は理性と言うか 不随意筋?がおしっこを勝手に出ないように制御してるけど私には管が・・ 看護婦さんが管をさわったとたん私の管からおしっこが噴水のようにバーッと 出て看護婦さんの顔に・・顔面シャワー。 診察台もベタベタ。 もうめちゃくちゃ恥ずかしいわなんやで「すいません すいません」の連発!  でも看護婦さんはなにも答えてくれなかった・・スゲエ怒ってたと思う。

あの時は死ぬかとおもった。というより死にたかった28歳の夏。

おっちゃん 39歳

   

お嫁さんの家に突っ込む

当方の以前の勤め先の先輩の話です。(許可済み)

酔って車を運転して自宅へ帰る途中、あと本当に自宅まで100mというところで 近所宅へ車ごと突っ込んじゃったのです。な、なんとその家は明朝には娘さんの 結婚式。先輩は一気に酔いがさめ、よく見ると玄関にはすでにいろいろと準備の品が たくさん。もう突っ込んだ勢いで散乱状態。そこのおばあさんは、何回も何回も 「明日は孫の一生に一度の・・」とず~っとぼやきっぱなしで、お母さんと娘さんは泣くはおやじは怒るわで大変だったそうです。騒ぎを聞きつけ先輩の実家や近所も交じり すごい騒ぎになったそうです。翌朝、すごい惨状の家より娘さんは出ていったそうですが 泣いていたのは違う意味で泣いていたそうです。

もう先輩は酔いが覚めたとき、「死ぬかとおもった」そうです。

おっちゃん 39歳

 

わきが膿む

私は5年前、兵庫県の某お嬢様短期大学に在学してました。 5ヶ月間のアメリカ研修旅行というのが、授業にも組み込まれていたのです。 アメリカの学校に通って3ヶ月間、楽しい毎日を過ごしておりました。 私は、昔からワキの手入れは毛抜きって決めてたので、 夜シャワーをあびる前にバスルームで1本1本抜いてたんですね。

いつものように、そそくさとバスタイムを終えたんですがその日は時間も ちょっとしかない中でワキの手入れをしたんで、気づかないうちにピンセットで傷が ついたんでしょうね、ワキに。ちょっと痛みがあったけど「いつものことさ」なんて ほっといたのです。

それから1週間ほど過ぎるとなんかワキに痛みがあるんですね。でも傷つけてしまう のはよくあるし、さほど気にはしなかったのです。それから2週間、猛烈に痛いんで す!!なにかとうと腕を上げ下げするだけで、「アイタタタタ!!(泣)」ったかん じ。触るとしこりがあるし・・・そういえば怖くてワキなんて見なかったけど勇気出 して見てみよう!って何人かの友達に見てもらったのです。みんな「うわっ・・・」 なんて声をあげるだけで、大口をあけている。そう、私のワキは真っ赤にはれ、膿ん でいたのです。

その翌日、私は慣れもしない異国の地で、それもワキの検診に行きました。 そして外人の先生はなにやら「手術しましょう」みたいなことをいいました。 簡単なベットに寝かされ、右ワキなんで顔の右には白い布でカーテンをられ見せない ようにされました。 麻酔をしたにもかかわらず、ワキをメスで切られるときのあの痛みと言ったら、もう ・・・。後から聞くとワキはかなり化膿していたらしく、膿みがたまってしこりに なっていたのでした。

はー、死ぬかと思った・・・

   

心臓がとまる

以前、在籍していた会社での事です。

当時、その普段の忙しさをはるかに越える忙しさの極みにいた時の事。1日睡眠2時間前後、帰宅は「着替えがなくなったら」。 そんな生活が1ヶ月ほど続いたある日、着替えがなくなったので 一時帰宅しました。もちろん着替えを取ってUターンのつもりで。披露困憊の自分を見て、母親が気をきかせたのか風呂を沸かして くれていたのです。歩きながらでも寝てしまうほど疲れていた僕は パラダイスの幻影を求めて、言われるがまま風呂に入りました。

まさに極楽。しかし歌を歌う体力はナシ。無言で風呂につかって いると、急激な睡魔が襲ってきました。僕は熱い風呂が好きなので、 かなり高温のお湯だったのが災いでした。高温の中、意識が遠のいて きました。疲労の限界だった体に熱い風呂はいけません。ウトウト する内に心臓がいやな動きをし始めたのです。

「ドクン…ドクン…ド…ドォックン!ドォックン!ドドッ!ドドッ!」

明らかに変です。心臓が無理してます。眠気と思っていたのは実は のぼせていたようでした。「ああ…心臓が…マズいなぁ…」と うすれゆく意識の中でそんな事を考えていました。頭の中はどんどん 白くなって行きます。手足はもちろん麻痺してます。心臓はどんどん 変になって行きました。そして、

停止しました。

頭の中ではかすかに「あ…」くらいしか考えていなかったと思います。 「死ぬ」とか「危険だ」なんて思考は働いてません。しかし、5秒ほど 停止した後、おもむろに右手が痙攣しました。その右手はまっすぐ上 に拳を振り上げていました。その拳はまっすぐ自分の心臓めがけ落ちて きたのです。

全く意識はしてなかったのですが、なぜか自然と拳が心臓に叩き付け られたのでした。おかげで心臓は鼓動を再開し、意識がハッキリと してきました。さすがにマズいと思い、風呂を出ようとしたのですが 手足は麻痺したままで動けません。結局ヘビのようにヌルリと這い出し ました。

死ぬかと思った。

 

セーフティバーがゆるい絶叫マシン

みなさん遊園地の乗り物で「バイキング」って知ってますか? 簡単にいうと船の形をした大きなブランコのようなものです。 当時高校生のぼくは学校行事で遊園地に行きました。 そこで当時のクラスの人と乗ることになり並びました。

こういうマシンは座る所にセーフティーバーがあり、 体がマシンから飛出ないように押さえるのですが、 「ガチャ、ガチャ・・・」 なぜ体にフィットしない!?なぜ!?

僕は周りを見回してみると、 僕の両隣りに僕よりも大きなデブな人が座っているではないですか、 「(安全バーが)ひっかかってる~」 このマシンは3席分を一つのバーで押さえ付けるもので 僕はその中間に座っているのです。 それで両隣りの人で引っ掛かり、まん中が開いている状態になっているのです。 ピンチです。このままでは危ない。

「ちょっとスタートさせるのまってください、安全バーが・・・」 そう叫んでも乗る前から女の子がキャーキャー騒がしくしているので 全然声が届きません。隣の人は薄ら笑いすら浮かべています。(オイオイ)

そんなセーフティー無し状態でマシンスタート! 徐々にスピードが早くなってきます。 女の子の「キャー」という声の中で 「うぉー」という僕の野太い声が混じります。

「こ、このままでは!」 僕は必死に前のセーフティーバーに捕まりました。 「こ、こんなところで死んでたまるか~」 それでも振り子運動の頂点では体がふわっと浮かびます。 その瞬間瞬間は恐いどころではありません。 負けたら死ぬ!負けてたまるか

数分それが続き、やっと止まった時 うっすら涙を浮かべて その時ぼくは一言こう思いました。

「い、生きてる・・・(!_!)」

あー・・・死ぬかと思った

26歳 よーすけ(Webデザイナー)

   

歯が死にゆく過程の痛み

数年前の秋、左下の歯がとてつもなく痛くなり歯医者に行った。

不運にも担当の医者が旅行で不在だったので、 新しい開業医のところへ行った。 その医者には「顎の関節がずれているから、しょうがない。 痛くなったらこの痛み止めを飲みなさい。」と関節系の薬をもらった。 家に帰り、さっそく薬を飲んでも歯の痛みは治まることがなく、 あまりの激痛に自分の精神状態もおかしくなって妄想を抱くまでになってしまった。夜中はじっとしていることができなくて、悲鳴と共に飛びあがり 号泣した。痛みのために、気が狂うことが怖かったのだ。

数日後旅行から帰ったいつもの医者のところへ出向いた。 「おやおやこの歯は死んでるよ。」と言われた。 そうか・・・。あれは「歯が死に行く過程の激痛」だったのか。

あの痛みの最中は本当に死ぬかと・・・。いや本当に死んでもいいと思った。

 

出産を機に脱腸

私は3年連続で子供を産んでます。 3人目は27歳で産みました。出産経験 3回めなので、あわてることは、何もありません

陣痛が始まり、一時間で分娩台へ・・。 私はいきみ方がうまかったらしく普通は子供が出やすいようにあそこを切ってしまう(陣痛のほうが痛くて、切るときの痛みはあまりないそうです。) ようなことは、ありませんでした。 うーん、うーん、どれほどいきんでも 子供は出ません・・。「あれっ?おかしい」 さらに、いきみつずけました。ようやく一時間して子供は生まれました。 ほっとして、病室に帰ります。 しかし、休もうにも、おしりが痛くて眠れないのです。 おしりになにか挟まっている・・。そんな、感覚は あるのですが、こわくてさわれません

トイレに行きおそるおそるさわりました。 何か、肉の塊がおしりにあるのです。 それも、かなり大きな・・・。絶句・・ これは何?さわるのも痛くて泣きました。

新生児にお乳をあげる時間などなるべく やわらかいソファにすわりました。 しかし、人が多い時はかたい椅子に座らなければなりません。診察でわたしのおしりを見た医者が なんとかしようと、言ってくれました。 診察台に乗り、大股を広げ、おしりを 医者に見せました。医者はちからづくで 塊を肛門に押し込みました。 「うごぉ・・ぐぐ」声にならない叫びを あげる私に医者は「ごめんねー 入らないや・・」と、いい私のふともも をぺちぺち叩くのです。このやろー!!

あとで看護婦さんもきて「手術すれば きれいになるよ」と、慰めてくれました。 えっ?手術しないとだめなの? その時もう一生浮気ができないことが くやしかった憶えがあります。

が、家へ帰りお風呂に入るとあっさり ひっこんでしまいました。きれいにでは ないです。今でも、とうの本人の子供 とお風呂に入ると、言われます。 「あっおかあさん・・おしりにしっぽがある」

浮気したい人妻(34歳)

   

ガードレールに股間が直撃

小学校2年生のとき、そろばん塾に通っていました。 その日は始まる時間よりもだいぶ早く塾に着いてしまって、先生がまだ来ていないのか、 カギが開いていない。

時間を持て余した私は、 塾の前にある道路の歩道と車道を区分けするガードレール(のようなモノ)を平均台にして渡ってみよう、 と思いつきました。そのガードレールは当時の私の腰以上の高さがありましたが、 今と違って身軽で少々おてんばだったので別に怖くも何ともなく、スイスイっと渡ることができました。

調子に乗った私は「次はあそこの電柱のところまで行ってみよう。」 とバランスを保つことに夢中になっていました。今度はさっきよりちょっと長い距離に挑戦、 そしてまた成功。嬉しくなって次なる目標は「早足で渡ること」。

息を整えてガードレールの上を走り出したその時、悪夢は待っていました。 朝のうちに降った雨でガードレールの上は少し濡れていて私は足を滑らせ、 両足の間にガードレールをはさむ格好になり、お股を直撃。

幸い大事なところは外れたのですが、 私の全体重プラス加速度で左足の付け根の骨の部分にあたり、 痛いのなんのって・・・。まさに脳天を突き抜ける痛みでした。

あまりの痛さにこのまま塾をサボって家に帰ろうとも思いましたが、 なにせ歩けないのです。左足が一歩も前に出ないので、 右足でケンケンをしてちゃんとそろばんの授業を受け、一人で家に帰りました。

あの痛みもホント死ぬかと思ったけど、痛みに耐えてケンケンでの20分の帰路も死 ぬかと思った。

28歳 レノママ

 

右頬内壁部をガリガリと噛み続ける

高校2年生のときです。本郷三丁目の歯医者に通っていました。 その日、虫歯の治療のため、右奥歯の神経をぬきました。

治療が終わってもまだ麻酔が残っているようで、右頬内壁部に 固いものを感じました。麻酔とは本当に感覚がなくなるものなのか? とふと疑問に思い、右頬内壁部を歯で軽く噛んでみました。

本当だ、感覚がないことが分かり、本郷三丁目駅までの帰り道 ずっと右頬内壁部をガリガリと噛み続けました。

麻酔がきれました。

死ぬかと思った。

   

2升飲む

ちょっと前までワタシの精神状態は鬱々でかなりヤバかった。

ある日、あいかわらず鬱鬱鬱鬱としつつビールを飲んでいた。 すでに500ml缶で5本。気分は晴れない。とうとう日本酒を酒瓶からラッパ 呑みという暴挙に出てしまった。 なまじアルコールに強かったのが災いして、一気に2升。

呑み終わったとたんに気分が悪くなって、その場で吐きそうに。ダンナが バケツを持ってきてくれたことだけは憶えている。その中に延々リバース しつづけて、その晩はどうなったのか記憶がない。

翌日も夕方まで頭がガンガン、吐き気も続いて、あんなにひどい二日酔い は初めて。

バスルームにはきちんときれいになったバケツが残されていた。 あぁ、ダンナよすまん。

ほんとに死ぬかと思った。

 

ドアにはさまれたまま新幹線が動く

私はその日、母と祖母と一緒に 神戸に遊びに行きました。 まだ阪神大震災の何年も前のこと、 神戸はおしゃれな町という イメージから当然新幹線のホームも 立派だと思っていました。

でも、なぜかその日、 観光をすませて地元に 帰るために新幹線待ちを していたホームは無人。 駅員すらいない。 しかも案内板もない。

そこへ、指定券に書いてある 時刻どおりに新幹線が やってきたものの、 アナウンスもなければ、 確認できる駅員もいなかったため、 母と祖母は疑心暗鬼で それに乗ろうとしません。 私も不安だったので、 駅員の姿を必死で捜し求めたのに みあたりません。 そこで私がとった行動は・・・

新幹線の開いているドアに 体を縦半分だけいれたのです。 右半身は新幹線のなか、 左半身はホーム という状態。 こうすれば、発車時刻に なったとき、駅員が気づいて なにか声をかけてもらえるだろう。 その時にこの新幹線の詳細について たずねよう。 そう考えたのです。(隊長!バカ一人発見。)

ところが、ピリピリピリピリっと けたたましく発車合図が なったかと思うと、新幹線の ドアは何事もないかのように しまりはじめました。 あまりの事におどろき、 身動きも出来ずにいるところに、 ドアがやってきて私の体は にっちもさっちも行かない状態。

やはり、びっくり仰天の 祖母と母が必死で ドアを抉じ開けようとしてくれました。 そして、次の瞬間に新幹線はそろそろと 動きはじめました。 体を半分外にだしたまま 新幹線が走り出した!やばい!

もうだめだ、と思った時、 祖母と母はなにか叫びながら 走りながら信じられない力で ドアをこじ開け、さらに 驚くべき敏捷さで二人が 車内に転がり込んだ拍子に 私の体も全て新幹線の車中へ 押しこまれ、危うく難を逃れたのです。

いったいJRの安全管理はどうなってるのでしょう。

とにかく、あの時は本当に死ぬかと思った。

by JRのばか・・・

   

骨が折れているのに我慢して帰る

私は空を飛んだ。 ガウンッ!!という衝撃とともに、頭に響くガリガリッという音。 目の端に花火が見えたと思ったその時。 私の足の上に黒い物体が覆い被さってきた。 ガシュッ!ともグシャ!とも表せない衝動。

「おおーい!大丈夫かぁ??止まれぇー止まれー人がいるんだぁ!!!」 なにやら騒がしい。(?! 人がいる??うわぁーめちゃ恥ずかしいやんかぁ!!) 辺りが騒がしくなってきた。 「おい!死んでるのとちゃうか?」 (おらへん・・おらへん。恥ずかしいだけや・・・) 「おおーい、救急車呼べ!」 (わぁ・・はじめて救急車にのれる?) 「警察もよばんと」 (・・・・・・・警察??まずい!自賠責切れてるんや!)

むくっ!っと起きあがり周りを見渡した。 1人のおっちゃんが後続車を整理して、1人がバイクを 起こし端に持っていってくれた。

もう1人のおっちゃんは、心配そうに覗きこむ。 気がつくと道路のど真ん中にバイクに添い寝していた。 「今ぁ、救急車呼ぶから・・」 阻止するように「いえ!本当に大丈夫ですから!(警察ざたになるやんか!)」 「本当に大丈夫か?」 「はい!スイマセン。バイクも動くようだし、打ち身だけやし、大丈夫です。ありがとうございます。」 逃げるようにその場を去った。

走り出して5分後、足が動かなくなってきた。 激痛が走る。 「まずいなぁ。病院いくか・・・」 目の前の救急病院に入っていく、とりあえずシップを はってもらい帰宅。 ・・・・寝られない。

朝一で、昨日行った病院にいく。 「骨折してますが、まぁたいした事ないでしょ」 バンソウコウを数枚貼るだけで帰された。 でも、ものすごく痛かったので、自分でシップを購入し 自宅治療をする。 藪医者だったようで、現在、私の左足の薬指は、変形し たままだ。

死ぬかと思った。

 

 

喉をつって息ができなくなる

ぼんやりとTVを見ながらだらだらとしていた私は だんだんと眠くなり、声をだしながらの大きなあくびをした。

ホワア~ア~~~ア~ア~、 まったりと眠気を倍増するはずのあくびが次の瞬間、 アグッ!ウ~~!グゲッッッ!!! 喉の内側を締め付けるような痛み。 突然の事態に私はパニックに陥った。 呼吸ができない。 助けを呼ぼうにも声も出ない。 あまりの苦しさに目からは涙が・・・。

ひ~ひ~言いながら必死に呼吸をしようとするが なんせ喉の内側がグゥっと縮こまっちゃってるような状態なので なにもできない。ただ首をおさえながらもがき苦しむだけ。 どのくらいその状態が続いたのか・・・

しばらくすると、だんだんと喉の収縮もおさまり、呼吸もできるように。 私は涙を流し、ハァハァしながら、ただ呆然と座っていた。 なにが起こったのか、冷静に考えるには暫し時間を要した。

そう、私は、首をつったのではなく、喉をつったのだった。

あれから私は大きな声をだしながらのあくびは絶対にしないようにしている。 あぁ、ほんとに死ぬかと思った・・・。

ちゃあすけ

 

   

笛飴が喉に詰まってヒューヒュー

小学生の頃、ある日学校の帰りに学校横の駄菓子やさんで飴玉を買って、 自分の家と反対方向の友達の家に向かって遊びに行った。 彼女の家の近くには「危ないから行くな」と言われていた多摩川があった。

親には内緒で多摩川で遊ぶ予定だった。 で、飴玉をなめながら遊歩道をとことこ歩いてたら、つまづいたかなんかの 拍子にスポッ!と飴が喉に詰まってしまいました。 凄い喉に圧迫感で息が止まった。驚いた。死ぬかと思った。

でも次の瞬間、ヒューヒュー音がする。 その日の飴は真ん中に穴の空いた、『笛飴』だった。 どうやっても飲み込めなくて、公園の水を飲んでみたけどそれも苦しくて、 仕方ないからほっといて多摩川まで行った。 いつのまにか溶けてなくなってた。

なんであの時そのまま多摩川まで行ったのかというと、 家に帰ってオカアサンに学校帰りの寄り道と買い食いがばれる方が恐かった。 今思えば、飲んじゃうトロクサイ私のような奴がいるから穴が空いてたのかも。

穴がある、って気付くまでは死ぬかと思ったんだ、ホントに。 そんなんで死ななくて良かった。

28才 会社員

 

鳩まみれにさせられる

上野動物園に行こうと女3人で歩いていたら、鳩にえさをやる おじさんと目があってしまった。そのおやじはなにを思ったのか、 私達めがけて鳩のえさをなげつけてきやがった。当然鳩は私達めがけてとんできた。

コートのフードの中に入ってくる鳩、髪についた 餌を食べようと頭をつついてくる鳩、それでも餌をなげてくるのを 止めないおやじ!「くそじじぃやめろー」「ぶっ殺すぞてめー」 「ふざけんなばかやろー」口々にさけぶ私達、そんな様子を唖然 としてみつめる親子・・・。

なんとかそのおやじから離れる事に 成功したが、あのときは鳩にまみれて死ぬかと思った。

怒涛のOL 23歳

   

スポークでかかとがとれかかる

それはかれこれ4年前・・・・。

中学3年生のクリスマスイブ。彼氏と電気自転車(自転車のくせに、電気の力で 坂とかがとてもラクなもの。)で二人乗りしてて、最高にスピード出してたら 後ろに乗ってたあたしの足が車輪の中に入ってスピードダウン

なのに彼氏はきずかず力ずくでこごうとした。 やっとの思いで止まり、最初は歩ける歩けると彼氏を安心させて さぁ、また自転車に乗ったらまた激痛・・・・。

はさまったかかとを見ると靴下に少し血が。いちお念のため 脱いで見ると・・・・・・・・・。

かかとが・・・・・・・・ぱっくり開いて・・・中の筋肉の腱が見える・・・・・。 かかとが・・・下のほうに・・・・・・プラリ・・・・。

その後止めど無く血というかペンキみたいにどろどろした血液が 流出・・・。

17針縫って、クリスマスおじゃん&彼氏との別れは言うまでもなかったのである。

 

 

シーソーに足を砕かれる

学校一年生のとき。 休み時間に校庭で遊んでいた私。 そしてそこにはありきたりのシーソー。 そう、あのシーソーである。

ぎっこんばったんしているそのシーソーの 端っこの部分で・・・・ ガン。

足の指先を打った。

めちゃくちゃ痛かったが たんすの角で小指をぶつけたときのように 次第に治っていくだろうと思っていた・・

が。

死ぬほど痛い。 ジンジンジンジン。 耐え切れなくなって靴を脱いで裏返したら ドバ~~~~~ カップ軽く1杯はあろうかという血が流れ出た。 足先はまさに地の海。

結局救急車で運ばれ診察を受ける。 足の親指のツメがゴッソリはがれているとのこと。 そら、血も出るわ。 その後のツメの下の薄い皮をはがすのがこれまたたまらなく痛い。 ぐったり。

ほんまにあの時は、死ぬかと思った。

19歳 大学生

   

ダニ殺し毛布で寝る

私はとっても冷え性。もお電気毛布なしではいられない。 去年の出来事だった。彼がうちに泊まりにきた。 狭いベッドで2人いっしょにねた。 もちろん、電気毛布のスイッチを入れて。

彼は電気毛布が嫌いな人で、夜中に「なぁあちーよ!」って 私は起こされた。確かに1人で寝てるのとは違って少しあつかった。 「じゃあ、消していいよ。」私はそお言って、また眠りにはいった。

しばらくして、なんだか息苦しくなってきた。彼を起こそうとして、 呼びかけても声が出ない。スタンドの明かりをつけて、彼の顔を見たら ものすごい汗をかいて、ハァハァッ!言っていた。

そお、電気毛布など使ったことのない、彼が切ったはずのスイッチは、 ”ダニ殺し”になっていた。 脱水症状になりかけていた2人は、ほんと、死ぬかと思った。

 

息を止めて記憶力を高める

あれは浪人生のときのこと、受験勉強にどっぷりの私に、母が一冊の本を購入してくれました。 題名は忘れてしまいましたが、人の記憶力を高める方法の詰まった、しかも受験生向けにかかれた本でした。

睡眠時間は一日6時間取れればよい、とか、オナニーは我慢する必要はない、逆に脳の活性化に貢献する、 とかいった内容のほかに、寝付く前に行う、記憶力増強の方法がありました。

その方法はというと、勉強が終わったら、すかさず寝る、横になったら、 できる限り呼吸を止め、我慢しきれなくなったら、深呼吸&伸びを繰り返した後、 眠りにつくといったものだったように思います。(もうすでによく覚えていない。)

ある晩、私は必要以上にがんばりすぎました、しかも勉強そのものではなく、息止めにです。 「もう、これ以上は・・・・・」という意識をふりしぼり、「まだだ!!」と思った瞬間、 心臓の鼓動が変化しました。同時に視界がきらきらひかる粉で満たされ、「もしかして、危ない状態?」でも、 「息は止めなきゃ!」と相反する意思のせめぎあいを感じたのもつかの間、呼吸を再開した私は、 薄れていく意識のなかで、心臓の鼓動が平常時の倍で心拍を刻んでいるのを感じていました。

「このまま死んでしまうのでは・・・」と思ったまま、あとは何も覚えていません。 翌朝目を覚ましたときにまず頭に浮かんだのは、「あ、まだ生きてる」という思いでした。 あの夜以来、「記憶力増幅法」はやってません。 ほんとーに、死ぬかと思った。

31歳 無脳サラリーマン

 

 

   

ゴミ清掃車に入れられそうになる

幼稚園の頃だったと思うのです。 我が家の玄関先へ来る働く車といえば、ゴミ収集車でした。バキュームカーも来ました。 僕は「特殊車」に乗って黙々とゴミを回収されるおじさん達や、長い長いホースを引 いて大きな音をたてて吸引させるおじさん達を心から愛していました。 右も左もわからない弟を使って「ゴミ収集ごっこ」をしていた程です。

いつもは、ゴミ収集車の音に気付くと部屋の窓から収集作業を眺めていた僕でした が、その日は玄関先で遊んでいた時におじさん達はやって来ました。 僕は窓越しではなく、目の前でライブ感覚で収集作業をされるおじさんに対して猛烈 に興奮しました。 絶叫!絶叫!飛んで、跳ねて、はしゃぎまくりです。 大声で子供特有の叫び声をあげました。 「ゴミ屋のおっちゃんが来たぞ!!」と繰り返し叫びます。

途中の事は覚えていません。 母親の話しでは、最初の一人のおじさんは作業を見てはしゃぐ僕に気付き、ニコニコ して僕に手を振ってくれたそうです。 でも、反応が違ったのは別のおじさんでした。

おじさんがドスをきかせた声で言いました。 「クソガキ!!」

朝の澄んだ水色の空が視界いっぱいに広がって見えていました。 僕は気付いたら、そのおじさんに両手でぐっと持ち上げられていたのです。 横を見ると収集車の後部、ガラガラ音をたててゴミ袋を巻込んでいる最中です。 おじさんに持ち上げられている。 しかも、おじさんは猛烈に怒っている。 状況が判った瞬間に僕は泣き叫びました。 そしておじさんは言ったのです。 「オラ、ガキ、一緒にほうり込んだろうか!!」 遠くから見ていた母親が駆けて来て、お詫びを繰り返していた気もします。 でも、大泣きモードの少年は周囲の状況はよくは思い出せません。

だけど、僕は本当におじさん達が大好きだったのです。 愛する人の手によって・・・・・・・・ 僕はその時死ぬかと思いました。

 

鼻水を医療器具で吸引する

私は風邪を引いていました。 会社づとめの人なら病気を理由に欠勤も出来るでしょうが何せ私の職場は病院。 本当に病気でも休めるはずもなくその日も夜勤をしました。 両方の鼻が完璧に詰まって息が出来ない… それだけでも死ぬかと思って鼻を吸引する事にしました。

掃除機の様に吸い続ける管に柔らかいストローのような30cm位の管を接続。 そしてその吸いつづけるストローを鼻の中へ… 「し、死ぬー!!」 鼻の奥に吸引圧を掛けると「脳味噌が吸い出される~~!!」 …と絶叫するほど眉間がシンシンと冷たい… …しかし、私が使ったのは1番細い管で吸引圧も再弱。 普段患者さんには太い管で最大圧でやってる…。

…もっとも、鼻から吸引するのは意識のない人が殆どで、 これをやって何の反応も無いとなると「生命維持の危機レベルの意識不明」 なんですけどね。 病院で変に機材が揃っているせいでお気軽に試した下心。 鼻詰まりは治ったけど死ぬかと思った。

by 麗

   

スムージー

彼と車の中でHした後に、何食わぬ顔して帰宅 家族と夕ご飯を食べていると 母が「あんた何で顎に白いの付けてるの?」

一瞬脳細胞が通常の7倍ほどのスピードで働き、 とっさに「スムージーだよ」と言い直しました。おかんはうまく騙されてくれました。

私は家や学校では真面目でおとなしタイプなので とても焦りました

A.A 15才中学生

 

祭りの屋台に轢かれかかる

その頃私は浜松に住んでおりました。 名物は御殿屋台です。山車みたいなものです。 祭りでは町人が総出で市中を引き回します。

小学校低学年の頃、私も屋台引きに参加しました。 屋台というものは人力で引くものかと思いきや、実はエンジンが仕込んであって、 ほっといても時速3キロくらいで自走するようになってます(30キロは出せると思う)。 総重量かなりありますから。

さて、とろくさい私は、とろとろと綱を引っ張っていました。 他の人の迷惑になってもいけないと思い、かなり力んでいました。 しかし、力んだ拍子に足がもつれ、顔面から転びました。とろいから。 すかさず立ち上がろうにも、夢中で屋台を引く人々に揉まれて、うまく起き上がれません。

そうこうしているうちに、私の背後に御殿屋台が巨大な影となってのしかかってきました。 ぐをんぐをんと、モーターの音が低く腹に響いてきます。 頭の中は真っ白です。 祭囃子の中、じりじりと迫り来る極彩色の巨大な屋台・・・極楽に呑み込まれる・・・。 私は魅せられたようになり、立ち上がる意欲は既に失せていました。

爪先が屋台の下に潜りかけた瞬間、そこでようやく異常に気がついた近所のおばさんが すごい形相で助け起こしてくれて、事無きを得ました。

しかし私がちょっと死に掛けていたことは、そのおばさんと私しか知りません。 だってみんな浮かれてたんだもん。

あそこで死んでいたら、浜松史にある意味名を残したかもしれないと思うと 少し惜しい気もします。

ああ、屋台に轢かれて死ぬかと思った。

   

用水路に落ちる

あれは2年前の寒い日のこと。今の家に越してきて間も無いころでした。

今住んでいるところは田んぼや畑が多く、店もろくにない、とにかくど田舎。 こんなど田舎に越してきてまだ何週間もたっていないというときに、 ある用事があって夜の9時ぐらいに近くの道路を自転車で通っていました。 この道路は町がケチだということでろくに街灯が無い上に歩道もありません。 (なのに普段でかい車がバンバン通っている)

とても見通しが悪いのです。ずっと自転車を走らせていたら「あ、なんや、歩道があるわ」と思い、 その歩道らしきところをと通ろうとしたそのとき、自転車の前輪ががくっとなり、そのままドッボーン!!!

そうです。私が歩道と思って通ろうとしたところは実は用水路だったのです。 しかも勢いよく頭から自転車ごと・・・。一瞬何が起こったのかわからなくなりました。 幸い、この用水路に水が流れていたので、とても冷たかったのですが、この水が流れてなければ、 モロにコンクリにぶつかり下手すると骨折か頭をぶつけて死んでしまうところでした。

寒さと打撲で全身に感覚がなく、意識が遠のいていくのを覚えた私は、「このままだーれも助けてもらえず死んじゃ うのかなぁ」とまで思いました。

とりあえず用水路から出る事にしました。体がかじかんでいるので、 落ちている自転車はどうしようかとおもって、近所の人に助けを求めようとしましたが、そばに民家が無く、 仕方が無いので、道路を通る車を止めようと思ったのですが、街灯がないせいで私の姿がみえないらしので、 バイクに乗っている人を呼びとめることにしました。

ようやくバイクに乗ってる人がつかまり、「すみません、さっき自転車ごと落ちて・・・」と説明し、 その人は親切に用水路におちた自転車を引き上げてくれました。助かった・・・・。

とりあえず自転車を引きずりとぼとぼと家に帰りました。 家に帰り、母が私の姿にびっくり。全身に砂とワカメや岩のりのような藻がたくさんついていました。 けがは手のひらの擦り傷と全身打撲、こんな可愛そうな私をみて母はばか笑いしてました。

翌朝、自転車を見るとかごやフレームに乾いた藻がたくさんぶら下がっていました。 今では笑い事なんですが、あの時は寒さと打撲と情けなさで死ぬかと思った。

介護職人 (23歳)

 

電車に上半身はさまる

学校へ行くある朝、いつものように寝坊をした。 学校までは、家→自電車→電車→バス→学校の順。 バスって結構不便で、本数があまりないから、電車一本乗り遅れるだけで次のバスは一時間後とかになってしまう。

その日も、なんとしても乗らねばならない電車を逃すまいと、家から髪はボサボサ、ものすごい勢いで自電車こいでいた。 たぶん周りから見たらすさまじい光景だったと思う。

自転車もスーパーの前に乗り捨て、駅の階段を猛スピードで駆け上がり、 なんとか乗るべき電車に間に合った!!

と思って、飛び乗ろうとした瞬間、挟まってしまった!

しかも頭。。 私はなんとか乗ろうと頑張ったのはいいんだが、気持ちだけが先ばしってしまったらしい。 100メートル走でテープを切るかのように、上半身だけが先行してしまったのです。

一瞬、時間が止まったかのように思えた。 そして、一気に恥ずかしさがこみ上げてきた。 自分でも、「えっ…」って感じだった。 恥ずかしさのあまり、死ぬかと思った。

   

つるはし持った男に追っかけられる

車の免許とりたての頃だったので、もう10年くらい 前のことです。 男3人で、友人の家の軽自動車を借りて、 深夜ドライブに行きました。

運転は3人で交代でしていたのですが、 一番気の短い友人Aが運転していた時でした。 前に遅いトラックが走っていました。 友人は「おっせえなあ。抜かすか。」と言いながら トラックを普通に追いこしました。 それからスピードをあげたのですが 追いこしたトラックは離されることなく、 僕らの車の後を一定の距離をおいて、走らせてきました。

そして、僕らの車を、今度は抜かしていきました。 その瞬間、友人Aの怒りモードのスイッチが入り 「なんだあ、あのトラック!また抜かしてやる!」と、言いながら また、普通に追いこしました。 すると、また同じようにトラックは、後をついてきて 追いこして行きました。

友人Aの怒りモードがさらに加速しました。 それで、またトラックを追いこしました。 すると、またトラックがついてきて、追いこすということが 3~4回続いた後、友人Aの怒りは頂点に達していました。 それで、トラックをかなり強引な抜き方で、追いこし、 その後、かなりのスピードを出してトラックをふっきりました。

もう来ないだろう、と3人で話していたら トラックがものすごい勢いで、こっちに追い掛けてきました。 そして、強引な抜き方で追いこし、ものすごいスピードで 去っていきました。 さすがの友人も、「あいつ、ちょっとおかしいんじゃないの。」 といって、あきれていました。

それから、しばらく走らせて行ったら、 道路を塞ぐように、道路に対して垂直にとまった 先ほどのトラックがありました。 僕らは、車が通過できないので、ちょっと離れたところに車をとめて、 トラックの様子をみていました。 すると、トラックの運転手が僕らの車に気付き、 車から降りて荷台の所をがさこそし始めました。 なにやってんのかなと、さらに様子をうかがっていると、 運転手が荷台から「つるはし」を取り出すのが見えました。

と、同時に物凄い形相をして、つるはしをふりかざしてこっちに走ってきました。 「やっべー!あいついかれてる!!」と、3人は逃げることを考えたわけですが 道がせまいので車を切り返すこともできません!! 「はやくバックで車出せ!!」と、私は叫びました。 友人はあわててバックにギアを入れ、車を走らせました。 しかし、つるはし男はさらに走ってきました。 どんどん僕らの車のフロントガラスに向かって 男はエイリアンのように迫ってきましたが、 200~300mほどバックで車を走らせたら、 男もついてこれなくなりました。

すかさず、切り返しができるところまで逃げてから、 切り返してすぐに車を走らせ、難を逃れました。 また、追い掛けて来るかもしれないからと、 ものすごいスピードで逃げたことを記憶しています

あそこで、バックで逃げられなかったら、 おそらく「つるはし」で穴だらけの車&3人が できあがっていたかもしれません。 ほんとに、死ぬかな、とういうか、殺される!と思ってしまった 体験でした。 いまでも、車を追いこす時はいつも思い出します。

29歳 サービス業

 

指圧で弱点おされて鼻血でる

去年の12月はじめの頃のことです。 生まれて初めて指圧に行きました。 会社の近所の、とある木造アパートの二階。 ボロボロの階段を上がって行くと、部屋が3つ。 部屋番号が数字ではなく甲、乙、丙でした。 目指すは真ん中、乙。玄関前に立つ。

ドアノブの下に「リポビタンD」のシールが貼ってありました。 出てきたのは薄いピンクの白衣を着た指圧師のおばちゃん。 50才くらい。真珠のネックレスに、 レンズが虹みたいな変な色のメガネをしている。トッツィー。

「どうぞどうぞ」と通されるまま中へ。和室に布団がひいてあります。 枕元にはなぜかティッシュ。「じゃ、いきますよー」いきなりかい。 どこが痛いんですとか、とかそういうカウンセリングみたいなのは何もないのかな。 まずは背中から押される。意外と気持ちいい。 10分くらい身を任せていると、うっとりしてきました。

ちょっと場を和ませようかと思い、 「逆にツボで相手を病気にしちゃうとか、できるんですか?」と僕。 「ほほほ、できないことないけど、しないけどね」 「できるんですか!? マンガみたい!」はしゃぐ僕。 「あまり強く押しちゃうといけないツボとかね、あるよね」 …それってまじでケンシロウじゃん。 内心興奮した僕が「例えばどこ?」と聞くか聞かないかのうちに、 トッツィーが僕の右脇腹の下辺りを強く押しました。 「イ、イデーッ!」とわめく僕。 「こことかね、そうね、人間にはいくつか弱点があるのね」 あーそうなんですかよくわかりました、言葉になりません。 次の瞬間、僕の左の鼻の穴からチロ~っと鼻血が垂れました。 「あ、ああ~」とあわてる僕。 布団にこぼしちゃ悪いと思って体を反らします。(我ながらイイひと) 「あらあら」とオバサンが笑いながらティッシュを渡してくれました。 ネピアいきなり活躍。

「あなた腎臓弱ってるかもしれないね」とのこと。 「ふがふが」とりあえず鼻にティッシュを突っ込み、 3分ほどすると血が止まりました。 鼻の穴からツッペを抜き、ごみ箱に捨てようとしたとき、 中に、僕のと同じような血まみれのティッシュがたくさん見えました。 「ぎょ、なんだこりゃ」平静を装ってオバサンのほうを見ると、 なぜか、薄ピンクの白衣を脱いで赤いフリルのエプロンに着替えはじめます。 わけがわからない。 本気モード?っていうか情熱系?

僕はマンガの人のように大仰に右手をかざし、 「いっけね、もう時間だ」などと独り言をうそぶいて、帰ることにしました。 トッツィーは「まだ半分くらいしかやってない」と少し残念そうでした。 玄関でお金を渡すと、トッツィーはなぜかおみやげに冷えたリポDをくれました。 「最近は若い人のほうが体がコってるのよ、またおいでね」とのこと。 「はい、また来ます」とウソつきの僕。 リポDは会社の後輩にあげた。 プチ北斗真拳で死ぬかと思った。

    テンコンドー2対1

テコンドー(韓国空手)の道場に通って早2年半。 先日、スパーリング(模擬対戦)での事。 インストラクターが、ナニをトチ狂ったか 「今日は 2on1(2対1)をやります。」などと言い出しました。 コドモが多い道場なので、(人数が中途ハンパなので、コドモも 大人も同じクラスでやってます。) 「ガキ二人相手かー。ヤだなぁ。相手に当てないようにしなきゃー」 って、思ってましたら、ワタシの順番が。

「げ!」 出てきた相手は、 Mr.HILL 185cm、85kg。(推定) 黒帯。 Big・ジェローム  188cm、100kg以上(推定)ワタシのひとつ上のランク

二人とも、20代後半のぴっちぴちのブラザー(黒人さん)です。 『ウソやろーーーーーーー><』(ココロの叫び) そこでのインストラクターの追い討ちの一言。 「ストリートで会ったと思って、全力で抵抗するんですよー」

「出来るかぃっ!!!!!!!!」 ほんまやったら、5秒でゴミ箱行きぢゃっ!

3分間の長かった事・・・・ 隅っこに追い詰められたネズミさんよろしく必死に抵抗しましたよ。 うっかり相手の「ぴー」蹴ってしまう事数回。 (だって、当たるところ考慮する余裕なんてないっ!!) 4本のぶっとい腕からのチョップ、4本のでっかい足からのキック 避けるので精一杯。

・・・あぁ・・・死ぬかと思った。

32歳・格闘家ママ

 

カニ用ハサミで腸を切る

2年程前の事です。 友達が大学でラグビーをしていて、そのラグビー部員の飲み会(多分忘年会だったと思う) にさそわれて行ったんですが、みんなやたらと飲みまくっていて、かなり酔っぱらっていました。

私は体育会系の飲み会というのは初体験だったので、そのテンションの高さに圧倒されていました。 そのうち、一人のラガーマンが「おい田中!早く脱げよ。」と叫び、田中という男がニヤニヤしながら立ち上が ると「そんなに見たいのかぁ?」と言い、脱ぎ始めました。 その田中という男が一番イイ身体をしていて、脱ぐのがお決まりになっていると、 比較的冷静な友達が教えてくれました。

田中はあっという間にスッポンポンになってしまって、すごいムキムキの身体を自慢していました。 胸の筋肉もすごくてピクピク動かしたりしていました。 それからしばらく彼は人の頭にチンチンを乗せたりして暴れていたのですが、 となりの人がハサミを使ってカニを食べているのを見て、「オレも食ってくれよう!」と 言って腹をその人にグイグイ近付けました。

それからカニを食べている人のハサミをスッと取り上げて自分のヘソのちょっと下に刺してしまいました。 ハサミはカニ用としては刃の部分が長く、7cmぐらいあって、それがちょっと開いた状態で刺さっていました。 それを見てみんな「わぁ~っ!」と叫んで大慌てになりました。

本人も「痛てぇ~!刺しちゃったよ~!」と叫びながらハサミを抜こうとしたのですが、 ちょっと開いていたハサミを握ったので刃が腹の中でチョキンと小腸を切ってしまったようです。

ハサミはすぐに抜けましたが、腹に空いた穴から小腸らしい物がちょっとはみ出していたので 「腸が出てるぅ~!」とパニックになりました。

すぐに救急車が来て運ばれて行きましたが、本当に小腸が切れていたらしく、1ヶ月ほど入院したそうです。 あのときは田中という男、死ぬかと思った。

23才 会社員

    彼の部屋のトイレでウンコもらして倒れる

半年前のことです。私は彼氏の部屋に行きました。着替えがなくなったので、彼氏の 服を着ていました。夜、部屋でお酒を飲み私は、ベロンベロンに酔っ払って寝てしまいました。

寝ていましたが、彼氏の、「大丈夫か?」という声で目が覚めました。気づくと私は具合が悪く、 息遣いがとても荒くなっていました。「吐いてくる。来ないでね」と言い残し、私はトイレに行きました。 便器をかかえると、案の定、口の中からゲロが涌き出てきました。そのうち、肛門からも出したくなり、 便座に座りウンコを出しました。出してすっきりしたはずなのに、私はますます具合が悪くなり、 座っていることさえ辛くなりました。もう立つこともできなかったので、 トイレの床にお尻を丸出しにしたまま倒れこみました。

しばらくすると、また腸蠕動が活発になりました。しかし、もう私には立つ力はありませんでした。 身動きのできない私は理性を失っていました。もうだめだ~。 ・・・・・・・・・トイレの床で横になりながら、排泄してしまったのです。ウンコを出してしまった後は、 自分の恥ずかしい姿も考えず、満足感でいっぱいでした。

しばらくすると、彼氏がトイレに様子を見にきました。「なんじゃこれ!」と言った後、 私をお風呂場へ連れて行きました。生まれて初めて、ウンコのついたお尻を洗ってもらいました。 その後、パンツをはかせてもらって、ようやく布団に横になることができました。

翌朝、やっと我に返った私は彼氏に謝りました。彼氏は「風呂場に証拠があるから、あとは自分でやれよ!」と言いました。 風呂場に行くとウンコまみれになった彼の服がありました。 その服を洗っているとき、自分の昨日の姿を想像して恥ずかしくなりました。 死ぬかと思う程恥ずかしかった・・・・・・・。

その2ヶ月後その人とは別れました。別れた本当の原因てもしかして・・・・・。

26歳看護婦

 

ちんちんの皮をいて陰毛がはさまる

中学の時に包茎というものを知って、 ”包茎だ病気になってやばい”と聞いたり、 裏ビデオを見て”あぁ、やっぱりむけているんだなぁ”と思ったのでした。 ある日、友人から”包茎は自分でむいて直すことが出来る”と聞き、 さっそくちんちんの皮をむいてみました。 ちんちんがパンツの縫い目のところにこすれるのも いたくてしかたがなかったのですが、 翌朝起きたら、朝だちしたちんちんの皮のたるまった隙間に 陰毛が挟まってむちゃくちゃいたい 陰毛が挟まった痛みとはしらず(人生の中でそんな経験はなかったし)、 病気になったんじゃないかと思いました。 父にその事を話したら ”毛がはさまっただけだろ”とあっさりいわれましたが。

あぁ、死ぬかと思った。

ちなみに現在は仮性包茎です。

25歳 男の子

   

エスカレータでカートをもってふんばる

新しくできたスーパーへ母につきあって出かけた。 母はすでに何度か行ったことがあるらしかった。

1階と地下が食品売り場で、母はまず1階で山のように食品を買いあさり かごでは重いから備え付けの手押し車みたいなものにいっぱい詰めて 私に運ばせた。

楽でいいやと思っていたがそのうち地下へ降りる エスカレーターにその車ごと乗ると言い、こんなに荷物を乗せてるのに 大丈夫かなあと言う私に大丈夫いつもやってるからと言い、しぶる私の 背中をポンと軽く押した。その途端、下りエスカレーターに先に乗り込んだ 手押し車は当然ながら下向きになって、前にいる人々の方へ昔観た映画の市場面のように向かう。

私はものすごい重さに引きずられながらこのままでは前の 人々がしょうぎ倒しになると考え必死にふんばった。しゃがみこみながら。 手を放したら殺人事件になるかもしれない。

あの車の持ち手というのは下を向くとすっぽ抜けそうになることがわかった。 無事に下まで降りる間、母は私に手を貸そうともせず、いつもは地下で 先に買い物して上に向かうのよね、と笑っていた。 2週間たっても背中と腰が痛い。 死ぬかと思った。

 

地獄めぐり

今から、10年位前。 友人2人でバリ島に行った。 お金がなかった私達は、自力で町を観光する事に決めました。 英語なんか話せるはずもなく、身振り手振りでの観光。 食事を注文するたびに、口に入れられたもんじゃないもの食べて、気持ち悪くなって吐く。 ホテルの前に、砂浜があるが1歩でも砂浜に入ると現地人に囲まれ身包みはがされそうになる。

ある日、ホテルのベルボーイにディスコに誘われる。ホテルの従業員だから大丈夫だろうと、ついていく。 そこは、ラリってしまている方々の集会所のようだった。

目があったら、ヤられる! すぐホテルに帰る事にした私達に、ベルボーイはご立腹のようだったが、 金をつかませて帰る事を承諾させ、ディスコを出た。 ふっと気がつくと、自分達の後ろをさっきラリっていた男性5,6人がついてくる。 しかも、なにか黒いものを手に持ってる。刺激しないように車に乗り込みホテルへと帰る。 殺されるかと思った。

そして、帰国の日、こりない私達は最後の時間を無駄にしないように、街を歩き回る。 当然、暑いので喉が乾く。かき氷を食べる。出発の時間が迫ってきた時、何となく具合が良くない。 熱っぽい、頭が割れるように痛い。お腹も痛くなってきた。

脂汗が流れるが、現地の病院に行くのがイヤで平静を装う。 日本に着いても、隔離されるのがイヤだったので「大丈夫!」と言いきり帰ろうとするが、 結局大雪の為飛行場に九時間足止めを食らう。

やっとの思いで帰宅。次々と来る、吐き気と腹痛、頭痛、めまい、発熱・・・ 赤茶色のうんちと、胃液を交互に出す。目の前はクリスタルを覗いているようでキレイだったわ。 頭の中はぐるぐると、まるで遊園地のよう。病院に行けばいいのだろうが、 自然治癒が好きな(病院嫌い)私はいつもぎりぎりまで行かない。

布団に行けないので、トイレに毛布を引っ張っていつ次の波が来てもいい様に待機。 3日もすると、脱水症状が現れ始め、自分でもちよっち、まずいなぁと思い始め、自分で救急車を呼び、 赤痢の疑いをかけられ、病院をたらい回しにされた。

風邪と熱射病と食当りだったのだが、医者に見てもらっても、 なかなか治らず2週間ほどのたうちまわって、死ぬかと思った

   

階段から落ちる

私は友達と温泉に行くべくJR高崎駅にいました。特急に乗るため、 長い長い階段を下り始めた所、「つーん」とマンガみたいに つま先が階段にひっかかって前のめりに私は落ちて行きました。

カッコつけて持っていたアンティークのトランクは途中で空き、 1泊2日分の荷物をばらまきながらゆっくりと私は落ちてゆき ました。(もちろん、実際にはゆっくりとではなくものスゴイ イキオイで転げ落ちたのです。)

落ちながらワタシは「死ぬのかな~」と考えていました、が、 目の前に踊り場が!やた!助かった!そう思ったのですが、 あまりのイキオイで、駅の階段にしてはだいぶ広めの踊り場なのに も関わらず、ワタシはそこでは止まりませんでした。なんと。

尚も落ちて結局止まったのは最後から三段目の所でした。まだ うら若かったワタシは、何よりも階段から落ちたことが恥ずかしかったので、 すぐさまさっそうと立ち上がろうとしましたが、カラダがピクリとも動きません。

ワタシの周りにはまるい一定の空間をはさんで人が取り囲んでいました。 まさに「その瞬間、天無く地なく・・・」といった泉鏡花の世界です。空気が凍っていました。

やがてワタシが「うっ・・・」とうめいた瞬間、時間が流れ出し、 ある人は「大丈夫ですか?」と駆け寄ってくれ、ある人はばらまか れたパンツやハブラシを持って来てくれました。

体中痛いけれど、幸い、どこも折れて無いみたいでした。でも、 死ぬかと思った。

みると、乗るはずだった特急は既に搬入していて、列車の中の人は 皆ワタシに注目しています。

もう、乗らないと今にも発車しそうです。好奇の視線の中、 その列車に乗らなければならなくて、痛さよりも恥ずかしさで 死ぬかと思った。

ちなみにその温泉旅行には意中の彼も来ていて、勇気を出して 告りましたが、フラれました。

もう、さびれた温泉旅館で 死のうかと思った。

 

痴漢

私が小学校1年生のときのことです。

授業後、学校で遊んでいたのでいつもよりも帰りが遅く、 同じ方面に帰るともだちがいなくて一人で歩いて帰りました。

幼稚園のころから「知らない人には用心しましょう」と教えられてたのに、 トロい私は、自転車に乗った、もっさいおじさん(今思うと20代の男だったかも) に話しかけられました。
「ひとりなの?」
「お名前は?」
「何年生?」
素直になんにも怖がらず答えました。 おじさんはニコニコしてたので。。 そしたら突然私を抱き上げたのです。 抱っこです。

それでも、トロくさい私は、お父さんが「たかいたかい」をしてくれるのと 同じことをしてくれるんだと思って、遊んでくれるんだっておもって、 うれしかったんです。

そして、抱き上げながら体操服の短パンの中に手を入れてきました。 パンツの中にも手を入れてきて触られました。

そこでやっと、トロイ私も怖くなって、逃げようとしました。 走って逃げました。振り返るとそのおじさんは、自転車に乗り私と反対方向へ 走って行きました。 それでも怖くて家まで泣きながら走って帰りました。 なぜか怖すぎて、恥ずかしくて、親にも言えず、夜布団のなかで泣いていました。

幼すぎて、変な心配の仕方をしてました。 「あそこをさわられた。変な毒を入れられてて、私死ぬのかな?」って、思いました。 怖かったです。1週間くらいずーっと、「死ぬかも、死ぬかも」って思ってました。

いたずらに対しての恐怖より、毒や、薬を入れられたかもということのほうが恐怖でした。 何かを入れられたっていう感触はなかったんですけどね。

本当に、死ぬかと思ったんだもん。

ウサギ年・女

   

おじいちゃんちの扇風機で感電

私は子供の頃の夏休みは祖父の家に1ヶ月居候していました。 従兄弟達も皆で居候していた。 親は一週間交代とかで面倒を見に泊りで来る。

海とプールと昼寝と宿題の毎日。結構暇。今考えると結構幸せ。 当時祖父の家には扇風機は1台しかなく(独居老人だから) いつも従兄弟と皆で熾烈な争奪戦を繰り返していました。 その日も従兄弟とTVを見ながらゴロゴロ扇風機の周りに 何人もで転がっていました。4、5人いたのかな? くるくる廻ってる扇風機の白いコードに赤と青のテープが 綺麗にしっかり巻かれてる。白、赤、青、綺麗じゃん。 「何だろうー」と取り合いながら皆で一気にはがした瞬間。

息、止まりましたよ。目、火花散ったと思いましたよ。 2秒位後、幼稚園児の従兄弟はすごい声で泣き出した。 祖父が飛んできて、感電ついでに皆でげんこつも貰った。 おじいちゃん、今思えばそれってひどくない?

あの時孫は感電して死ぬかと思ってたのに。 いつのまにか扇風機はリモコン付きの最新型になっていた。

 

 

ハッテンバで仲間に誘われる

話せば長いことです。高校1年生の初夏のころ、かねてから興味のあった『3本数百 円』のアダルティックな映画館に足を踏み入れたく、平日のまっ昼間、学校をサボ り、私服に着替えて決行した。もともと高身長で横着ないでたちで年齢よりは上 に見られていたせいか平静を装いスムーズに入れたが、本人の気持ちは最高のボル テージへと上がっていきました。

慣れたフリを演じつつ空いている椅子に座り、銀幕をみましたが、 本当はそのまま立ち上がって右手を天に向けて突き出し大声で叫びたいほどでした。

心臓の高鳴りと男性特有の反応を感じているときに、横に背広を着たおっさんが座り、 なんで空いてるのに横に座るかなぁと軽い怒りを覚えた その瞬間、気持ちは銀幕から離れ、暗闇にも慣れた目で回りを見渡すことができまし た。

空いている館内に散らばって座っている男性ばかりの皆さんが数人ずつ組になっ て心なしか動いているんです。機械的に。あれれ?と不安にかられていると横のおっ さんの左手が私の右手にぶつかります。なんや?と思って肘掛から腕をひっこめる と、半そでの露出した腕の上を力の入っていない指がつーーつーっとなぞるんです。

うわぁぁこれはヤバイと思ったけど、どうしていいものか身動きが取れず、女の子が 電車の中でちかんにあっている心情がわかりました。いやそれ以上です。まわりの皆 さんは機械的動きに酔ってるんですから。お父さんのようにあたたかい分厚い手のひ らがジーパンのももの上に密着し、そしてもみはじめました。「いやーっ」心の中は 女のこのようになっていました。多分そのとき僕は泣いていたかもしれません。いや 正直に言います、泣いていました。

その腕が少し上に上がった瞬間、考えて行動した のではないのに私はやにわに立ち上がり、そのままの勢いで映画館から駆け出そうと しましたが、後ろを向いた瞬間、スクリーンの反射に照らされて、おそるべく地獄絵 図が広がりました。皆さんそれぞれなさってるんです。男性同士で。

ドアを開けて飛び出しました。 ロビーで窓口のおばちゃん(ロビーをうろついてた)ににらまれ、半べそであること に気づき、すっかり縮み上がった私は、そのまま外に出るのに抵抗があって、トイレ で用足しと平静を保とうと入りました。 大きい方に入ってるんです。男性が。二人以上。二人ですることをなさってるまま大きい方のドアが開き、 「**かぁ?」と知らない名前で呼ばれ、「なんだ、誰だおまえ、ちょっとこっちにこいよ」と いわれた瞬間頭の中がわーっとなって、また涙が。

急いで自分のをしまって逃げよう としたら、察したらしくその人が立ち上がった。ちょ、ちょっとタンマ!ジーパンは リーバイスの501-!泣きながらジーパンの前を閉めつつ昼の名古屋の町を少年が 走り去ったのは、もう20年近く前のことです。

その10日ほど後の夏休み、友人と喫茶店で暇をつぶしていたら、ウエイターさんがた のんでないケーキを持ってきて「あちらの方からです」と告げた。みると、知らない おじさんが指をひらひらさせて「映画館で・・・」と言った。死ぬかと思った。い や、殺されると思った。

   

ちんちんやけど

あれは、今から9年前。ちょうど、冬の時期でした。洗面所に行き、髭剃りを出そうとすると、無い。あきらめて浴室に入ると、石鹸の横に親父が使ったらしいT字剃刀が!!

意味の有る無しはともかく、この剃刀を消毒しようと思いつきました。 取っ手付の洗面器にお湯(設定温度は75℃)をいれ、湯気がもうもうと立ちのぼるそ こへ、剃刀を投入。

いつもやるように、おもむろに洗面器の取っ手を右手でつかみ股間へ・・・・! 「・・・ん?」 なんか、ひやっとした感じがし、その直後に気がつきました。熱いお湯が入ってた ことに・・・・!

「うわっ、うわっ、うわっ」 直後は痛みを感じず、寒気だけが。取り敢えずヤバイと思い、あせった私はあわて てシャワーで水を出し股間へ。ところが、ホースの中にお湯が少し残ってた。 「・・・・・・あ、ああああ、あれっ・・・・いた、い、かなぁ・・・・??」 冷やし始めた股間には、表現に苦しむ感覚が生じ、じょじょに鈍い痛みが。そし て、見た目、真っ赤に・・・・。

冷やしつつ、いろんな考えが脳裏をよぎりました。 「子供、つくれんようになるんとちゃうか・・・、そんなことより、痛みを感じひん のはなんでや・・・?」 「・・・おいおい、なんかちいそなってるやんけ・・・」 冷やしているからだ、な~んてことまで気が回りません。 「明日、学校休めるかな・・・?」 「アホか俺は・・・、そんなことより大丈夫かな・・・」

ひとしきり冷やし、寒くなってきたところで水を止めると、鈍い、嫌~な痛みが ・・・。 ・・・・どのくらい冷やしていたでしょうか。痛みも冷たさも、何もかも麻痺したとこ ろで水を止め、浴室の外に。やはり、鈍い痛みが少しずつ大きくなってきてる・・・。 取り敢えず病院か、と思うまえに、寝ていた両親を起こし、そして恥ずかしげも無 く「とうさん、かあさん、ちんちん火傷した」 と告げると、見せてみろ、ということになり、こうこうと輝く明かりの下で仁王立ち になり、その前に両親がひざをつき、私の股間をのぞき込む・・・・。 「だいじょぶ、だいじょぶ。冷やして、寝とけ」 両親は、息子の気も知らず、くそ面白くもない、といったかんじで床につきました。

その後、氷を袋に入れ、扇風機をひっぱりだし、厚着したパジャマをひざまで下ろ した格好で胸と足に毛布をかけ、氷で冷やしつつ扇風機をかけ、眠れぬ夜を明かしました。 今思うと、実に恥ずかしい。中学3年にもなって、素っ裸で親の前に立つことな ど、まず無いでしょう。妹たちに見られなかったのが、唯一の救いでしょうか。痛み より不安感より、恥ずかしさで、

死ぬかと思った。

なお、翌日、私は痛む股間に涙しつつ、登校しました。やっぱり、その痛みに、

死ぬかと思った。

さらに数日後のある日、痛みもおさまってきた頃ですが、小便をしようとモノを 引っ張り出すと、なんか、変な感じがする。でも気にせずに用を足し、水を流しつつ 便器を見ると、茶色のなにかが大量に付着している…!! そして、私の手にも…!! あわてて個室に入り、ズボンを下ろすと、白いブリーフの内側に茶色いなにかが ・・・・。 のぞき込むと、表面がボロボロに。 「おいおい~、どうなってんねん~」

なんの事は無く、たんに死んだ皮がはがれてただけだったんですが、そんなことす らわからなかった私は、やっぱり、不能の人になるのではないかと、三度

死ぬかと思った。

えせ和尚 24才 公務員

 

 

先生のパンツ借りてうちへ帰る

あれは、忘れもしない小2の図工の授業中、その日はやけに寒く冷えていた。 後20分というところで起こった尿意・・・あと15分あと10分..... 我慢して、トイレでしようとまじめな私はがんばった!! それはもう、股にてをあてて、ごしごしこすったり、先っちょをつまんだり、懸命な努力のおかげでなんとか持ちこたえた。 キンコーンカンコーンーーー

やっとベルがなって動きも怪しげに、そろりそろりとすりあしで歩いて教室の敷居をまたいだその時!

ジャジャ-ーー 無情にも出てしまったのである。 そのあと職員室に行き、代えのパンツなどあるはずもなく(8歳にもなって、おもらしなんて・・・・)、途方にくれていると、 当時担任のそれはよく太った女の先生が、パンツを貸してくれた!「ノーパンよりましだ」と思いありがたくはかせてもらった! しかし、普通に考えても40過ぎの太ちょっの先生のパンツが8歳の細身の子供にあうはずもなく、 ズルズル落ちてきそうになるのを懸命におさえ、家路を歩んだ!

今考えても不思議なのが、なぜ、あの先生がパンツを?いったいどこから出してきたんだ? 先生のはいてたパンツをわたしは、はいたのか?

そう、思い出すと死ぬかと思った!と思ってしまうのです。

32歳 主婦

   

母親が5分無呼吸

うちの母親(マコチャン)は「イビキ」がすごい いや「イビキ」にかけては彼女は 間違いなくワールドチャンプであろう。音だけじゃない数々の音質やメロディまで奏でるのだ 嘘だと思う方もいるかと存じますがマジです。ex:ガ~プス・ピルピルピルピル…・バーーーー・ンガァー等 しかもヴォリュームも並じゃない。添い寝された日にはパニック状態になって自分の鼓膜破りそうになったくらいです。

そんなマコチャンがあるひ、居間で昼寝をしていた。もち爆音「イビキ」で しばらくその公害音は響いただろうか…と、急にマコチャンがウンともスンとも言わなくなった。(電池切れ??) しかも起きていない!近寄って鼻に手をかざしてみると「息をしていない!!」 いちおう娘の私は心配しつつマコチャンを見続けた。「マコチャン息をしてガ~プスってほえてよ」と心のなかで祈りながら… 3分以上たっただろうか…まだマコチャンは動かない。4分…まだ動かない。5分…「ンッガッ!!」 マコチャンは奇跡の生還をしたのであった。

いびきをかく人によくある「無呼吸状態」らしいんですけどまじで死んだとおもった。ってゆうかあの瞬間は マコチャン死んでいたと思う。

 

力んで血がぷしゅー

あれはずっと前、まだ学生の頃。 夜中に寝ぼけて窓を割ってしまいました。

右腕にガラスが突き刺さり、 血がドクドク流れてきます。

深呼吸一回。

親を呼んで、救急車も呼びました。

深呼吸二回。

圧迫止血が成功して血も止まり 救急車がもうすぐ来ると安心したら 急に便意を催しました。

洋式便座に座り まさに力んだその瞬間。

血がぶしゅー。

噴水みたいでした。 死ぬかと思った。

27歳 男

   

病院をたらい回しにされる

始めて彼氏の部屋(男子寮)に泊まった時に、激しい腹痛に襲われた。 朝のうちはちょっと寝てたら治るだろうと思っていたが、そのうち口の中に血のような鉄の味が広がってきて、昼過ぎに彼氏がバイトから帰ってきた時には、起き上が れなくなっていた。 男子寮なので救急車を呼ぶわけにもいかず、「病状を一番良く知っているのは私だから」と変な強がりで、119番で救急病院を教えてもらった。 教えてもらった病院にはことごとく「初診の急患は受け付けられません」と断られ、とりあえず応急処置だけでもと、タクシーを呼んで、近くの救急病院に駆け込んだ。

どうやら婦人科の病気(子宮内膜症)で、しかも婦人科の先生は全員学会に出かけていないとのこと。 えーっ、そんなことって‥と呆然していると、みるみる数人の看護婦が私を囲み、診察台の上にのせ、あっという間に口には体温計、腕には点滴、尿道にはカテーテル (ビニールの管)を突っ込まれた。

苦しくて手足がばたつくのでパイプベッドにバンドで固定され、まな板の上の鯉のように下半身裸にされたまま5~6人の中年の看護婦に「この子、カンジタね」 「やりまくってるんじゃないの」などなど酷い言葉を‥。ふざけんじゃねえとも言えず、ただ身を任せている自分が悔しくて、涙がとまらなかった。 はじめて看護婦が鬼に見えた。

他の病院にいこうとも、動けないので救急車を呼んでくれるように頼むと、そんなに簡単に救急車を呼べないとあっさり断られた。 彼氏にタクシーを呼んでもらい、やっと辿り着いた病院で2週間の入院。 鏡に映った自分の顔は今まで見た事がないぐらい土色で、ほんとうに死ぬかと思った。

24歳 OL

 

電飾を顔に巻いて感電

あれは、小学校5年生頃のころだったでしょうか、、、 私の記憶によれば、わが家でクリスマスツリーなど、 決して飾ってもらったこともなにのにもかかわらず、 なぜかガラクタ箱の中にあるツリーの電飾を発見。。。 コンセントを差し込むと、赤や黄色のランプがチカチカと点滅して綺麗だね。。。

数日後、私は家で、クリスマスごっこをして遊ぶことにした。 当然、私はクリスマス仮面。。。 仮面といっても、電飾を顔に巻き、チカチカするといういたって シンプルなヒーローだ。。 と、いうわけで、私は、電飾を顔に巻き付けいよいよ本番・・・ スイッチオン!!

ビビビビビィーーーーー!! 光る光る、私の目の前真っ白に、、、 切れない切れない電飾コード、、、 抜けない抜けないコンセント・・・・・やっと抜けた、、、 感電したらしい。

電飾コードを見ると、2カ所ほど、つなぎ合わせた痕跡があり、 しかも、導線はむき出しだった。 私のアゴの左右にも、2カ所、赤い点々ができた。 サナギマンだったら、イナズマンに成長しかかもしれないが、 私は人間だから、そのまま逝っちゃうかと思った。 っていうか、途中まで逝ってきた。

29歳 会社員

   

体にホチキスを刺す

高校2年のとき 夜遅くなにげなくホチキスをみていたら脳裏に『体にホチキスを打ったらどうなるんだろう』 という考えが浮かんできて バチン!! 左の人差し指に指してみた 以外と痛みはなく『ボディピアスみたい』とちょっぴり浮かれていた。・・・・・・・

が、1時間たてど2時間たてど出血しつづけ、布団は真っ赤に貧血で意識も薄れてきて ほんとに死ぬかと思った…(このときの傷はまだ残ってます)

 

かみ切れないマグロで窒息

会社の上司がネタが大きいのが自慢のすし屋に連れていってくれた。 シャリに覆いかぶさる分厚いネタだった。 至福の時を堪能しながら、調子にのって食べていた。 そして、マグロに取りかかった時、その悲劇が起きた。 ---マグロはかみ切れなかった。 人前なのでどうしようもなく、そのまま飲み込むことにした。

しかし、そのマグロは喉の奥にとどまり、行こうとも、戻ろうともしなくなったのだ。

はじめはどうにかなると思っていたか、息ができなくなり、シャレにならないと気が付いた。 慌ててトイレで吐きだそうと立ち上がったその瞬間、どうにかマグロは喉の奥へ…。

思わず涙が浮かんだ。 死ぬかと思った。

   

ゲロと水便を交互に出す

豪州での新婚旅行でダイビングポイントに向かう途中、船酔いに襲われました。 胸のところだけでうごめいていたので、じっとしてれば大丈夫だろう、 と大人しくしていたのですが、 客室係のお姉さんが持ってきたお菓子を見て 「お腹に何か入れれば、具合もなおるかも」と何の根拠もない考えが 頭に浮かびました。 そこで、クラッカーを一枚とって口に入れた瞬間、鼻にぬけるゲロの様相。

なんてこと。チーズクラッカーだったのです。 胸のとこだけが・・・だったのに、既に口の中はゲロの雰囲気が満載。 合流しようとこみあげてくる、チーズ臭の「あれ」。 もう、こりゃ駄目だと、小走りでデッキ下にあるトイレに駆け込み、 床にへたりこみ、間髪入れず便器に顔をうずめ、ゲロッと一塊。 まだ出るだろう、とそのままの姿勢でスタンバっていたら 今度は下半身に覚えのある痺れが・・・ と思ったら既に出そうな勢いの刺激が肛門に。

口元のゲロをぬぐいもせず、スボンとパンツを下げて座ると、 水状の便が勢いよく放出されました。 ホッとするまもなくまた胸からすっぱいものがこみあげてきて、 あぁ、でもオシリからもまだ出てるのよ・・・ と、肛門をぎゅぅっと絞り上げ、そのままくるっと振り向き、 床に膝をついて、ホヤホヤの水便の上にゲロゲロー しかし、オシリは「まだ出しきってない」とでもいいたげ。 くるっと立ち上がり便器にすわってビチビチビチー! くるっ・・ゲロゲロー くるっ・・・ジョジョジョー もう、この相乗効果は止まりません つらくて涙はでてくるし、ゲロは鼻からもでてるし、 穴という穴から、液体が流れ出し、くるくると回りつづける私・・。

一通り出しきったあとは、 便器の中のモノを流す気力までも出しきってしまったらしく、 いろんな汚物が浮かんでいる便器にもたれかかったまま、 「ウ・・ウォッ・・グェッ・・」とワケのわからない擬音を口にしながら ゆらゆらと放心状態でたたずんでいました。

そのとき、扉の向こうで英語で喚いている男女の声が聞こえてきて、少し我に帰りました。 そういえば、戦闘中、 叫びながら扉を叩いていた人がいた。それどころじゃなかったから無視してたけど。

大丈夫だ、と言おうとしても「アイムオー・・・グゥエッ」ゲロゲロー 外では扉をあけろと騒いで、ノブをがちゃがちゃやっている。

心配して助けに来てくれたんだ・・助かる・・・と、そのとき私は気づきました。 下半身はスッポンポン、顔はゲロと鼻水・涙まみれ。 便器の中には大量の汚物。 あぁ、あけないで!! 助けてほしいけど助けにこないで!! こんな姿を異国の地でさらすことなんてできるわけないじゃない! あたしは大和撫子よぉ!!。

まぁ、心配して探してたダンナが駆け付けてくれたので助かりましたが。

上からも下からも出してた時、ホントに死ぬかと思った。

 

キンチョールと爆竹

好奇心旺盛で研究熱心だった,小学校六年生の夏の日の出来事。 ある日,蚊を退治するための殺虫剤「キンチョール」を使っていたときのこと, 何気なく見た缶の側面には,火気注意の文字が。 「単なるスプレーがなんで火気注意なんだろう?」と素朴に疑問を感じた私は,さ っそく疑問を解消するべく実験することに。

危険という文字をすっかり忘れ,手元にあったオヤジのライターを手に取り火を付 けました。そして,なんの迷いもなく,その火に向かってキンチョールを噴射!

その瞬間,殺虫剤は火炎放射器に変わりました。驚きのあまり手が離れません。 しかし頭の中では「あー,テレビで見た爆発のシーンだ!」, 「このままでは家が火事になる!」,「火事になったらなんて言い訳しよう?」, 「あーそうか!だから火気注意なんだ!」など, 一瞬の間によく頭が回ったと思うほどいろいろと考えが浮かびました。

やっとのことで,落ち着きを取り戻し手を離すことができましたが, 噴射の音は止まりません。あれ?と思っていると, 次の瞬間,数え切れないほどの大音響の爆発音が。 噴射音と思っていたのは導火線の燃える音でした。 アリの巣破壊作戦のために購入し,机の上に置いてあった爆竹に火が移ったのでした。

驚いた父親が2階の私の部屋に駆け上がってきました。そこには, 床じゅう散らかった爆竹の破片と私が部屋の何処にいるかわからないほどの煙が。 幸いにも,壁のポスターをちょっと焦がす程度で済みましたが。

ちょっとした疑問を自分の力で解消しようとした純粋無垢な少年を襲ったのは, 心臓が鼓動を忘れるほどの驚き2回とオヤジのパンチでした。 オヤジのお説教の後(耳がキーンとなって聞こえてなかったけど), 思ったのは「さんざん怖い目にあったのに何で殴るんだ!」でした。 私が,なんの芸もない普通人間になったのは,あの時の驚きとパンチで, 疑問を感じてもそのままにしておける性格に変わったからだと思います。

私も,今となっては二児の父親,そんなことを息子達がしても怒らないようにしようと今から, 心に決めています。だってそれが人生を決めるターニングポイントになるかも知れないんですから。

それにしても,あの時は死ぬかと思った。

32歳 研究しょく

   

怪しいおじさんに首を絞められる

幼稚園の夏休みのことだったと思います。 隣に住んでた小学校6年生のおねえちゃんと2人で花火をしていました。

花火もそろそろ終わるかな~という頃、 ひとりのおじさんが近寄ってきました。 子供心に怪しいおっさんやな~と思いましたが、わたしもおねえちゃんも無視していました。 すると 「ちょー、たばこ吸うし、火ぃ貸してや」 と言われました。 その時点でびびってしまったおねえちゃんは、何を思ったのか火のついてない花火を 渡しました。 おじさんが突然キレました。気が短い人のようです。 「火ぃやー言うてるやろ!!」 ひえ~と思ったおねえちゃん、なんとわたしを置いて逃げてしまいました。 ひどい!

足がすくんだわたしはそのままじっと花火をしていました。 おじさんは花火用のろうそくからタバコに火をつけました。 そのままじっとこちらを見ています。 わたしがおじさんの方をチラっと見ると 「なんや?ちょっとくらい見せてくれたってええやろ?」 となぜか怒っています。

わたしは突然こわくなって、走り去ろうとしましたが あっさりおじさんにつかまってしまいました。 抱き合うように首もとを腕でぎゅーっと締め付けられました(うまく書けない) わたしは「やばい!殺される!」と思い 一瞬の隙をついて、おじさんの腕の下をくぐり抜けて必死で走って逃げました。

あのときは、本当に、死ぬかと思った。

今思うと、いつも笑顔の近所の漬物屋さんのおじさんにソックリな気がします。。。 なんかこわいー。

23歳 OL

 

ほうきに首を強打する

私が小学校1年生だった時。 私の学校では、1年生は、6年生と一緒に掃除が分担され、 6年生の指導の下に掃除を行なうようになっていました。

その日、理科室の掃除当番だった私。 掃除もあらかた済んで6年生はおしゃべりをし、 私たちはおいかけっこをしていました。 ああ、微笑ましい一場面。 その時、突然事件は起こりました。

机と机の間を走りまわっていた私。 突然、衝撃とともに床にひっくりかえりました。 視界が急にぐるりと変わって・・・次に見えたのは天井。 突然のことに、驚く周囲。

私はその頃、背は小さい方でした。 そして、掃除後ほうきは片づけてなくて・・・・6年生は、使っていたほうきを机と机に橋渡しをするように 置いていたのでした・・・・

そのほうきは、ちょうどわたしの首の位置にちょうど当たる高さで、 走り回っていた私の視界にはありませんでした。

首にぶちあたったので、息ができない。 それも倒れた拍子に後頭部をしこたま打って・・・・

声にならない声を上げて苦しむわたしにかかるのは、 容赦ない、その場にいるもの達の笑い声・・・ マジ、むかつきました。 でも、怒ろうにも、声が出ない。 何よりもそんな状況じゃなかった訳で・・・

ようやく私の異変に気がついた6年生が慌てて先生を呼びにいきました・・・・。

ほんとーに死ぬかと思った。

でんすけより

   

名糖アルファ ベットチョコレートで窒息

私が高1の時の事です。私はその頃毎日チョコを 食べていました。(そのせいでにきびがよく出た) その為、母親は必ずでっかい袋の「名糖アルファ ベットチョコレート」を買っておいてくれたのです。 一口サイズのチョコが50個ぐらい入っている奴です。 その日の私は、1人でなぜか上に放り投げて口でキャッチして 食べることに熱中していました。草剪君のマシュマロ キャッチの様に・・・何個か成功して、今度はさらに高く 放り投げてキャッチ!!    

         スポッ・・・・・・ !?

なんと放り投げた高さの勢いで、四角いチョコが直接 のどまで入ってしまったのです。 あがぇーーーーっ!!! あがぅうう!!! あぇええ、うぁうぅうぅ・・・がああぁ・・・!! 「そうだ! 水だぁ・・・」 私は必死で蛇口に口をつけました。

しかし・・・ 「!?・・・のどが動かないぃ!!」 い、息ができないぃ・・・・・・死ぬぅ・・・・・ほんとに気絶 しそうでした。 私は家の中をさんざんのたうち回り、 必死にのどを動かしました。  はたから見たらまるで 地獄絵図です。

・・・ゴクンッ

2分ぐらい暴れていた私は、チョコがのどで丸く溶けてくれた ので何とか飲み込む事ができたのです。 その瞬間、思いきり息を吸いこみました。すごい幸せでした。 空気ってこんなに美味しいんだって… 私がのた打ち回っている姿は、今思い返せば、2時間ドラマの 「毒を飲まされて殺されるシーン」にほんとにそっくりでした。 でも・・・マジで死ぬかと思った。

22歳 男

 

自転車で空を飛ぶ

今から8年前のことです。 中学3年だった私は受験生のために毎日朝7時半から 学校で行っている勉強会(強制)に参加する為、 必死に自転車をこいでいたのです。いつもの通学コースを。 もちろんヘルメットをかぶって!(笑) この通学コース、めちゃめちゃすごい坂があるのです。 その坂をノンブレーキで、走りきるのが私の当時の日課であり、 楽しみでもありました。 その日はいつもより寝坊した為、とてつもない勢いで、 チャリをこいでいました。立ちこぎで家から猛ダッシュです。 そして問題の坂に突入した時、ふと気付いたのです。

「あ、ライトつけっぱなしじゃん。こりゃーペダル重いぜ!」

何を思ったのか、私は片足をペダルから離し、ライトのスイッチを 足で消そうとしたのです。その瞬間・・・足が車輪に巻き込まれたのです。 しかも坂の途中でスピード全開です! 止まるはずがない! その勢いで、私とチャリは空中に飛びました・・・              「あっ!」

はっきりと覚えています・・・ 時間がゆっくりと流れ、空中に放り出されて空に向かう私・・・ 「死ぬ瞬間のスローモーションってこれなんだ・・・」 飛んでいる私は、そう思いました。 そして高頭部からの着地!! 声が出ませんでした。 「い、痛い!! 体が動かない! 誰かーーーー!」 そう思っても声が出ない・・・

その時、誰かが走ってくる足音が! 「大丈夫~!?」 上を見ると、私と同じクラスの学年1の 嫌われ者の女子が笑っていました・・・ 「笑っていやがる!!! くそ、くそー!!」 やっと話せるようになった私は泣きながら 「いいから向こうへ行け!! 近寄るなーーー!!!」 と 絶叫しました。 彼女はその私の勢いで走って行きました。 私はそのまま横たわり、しばらく泣きながら空を見ていました。

ちょうどその後、友達が来てくれたので、学校へ連絡してくれて、私は 救急車で病院へ。診断結果はただの打撲でしたが ヘルメットがなければ即死だと言われました。 私のチャリは車輪が取れていました。ハンドルも折れてました。 そして私の制服はズタズタに避けていました。

    テンプラ鍋に氷を入れた事がある。

小さい頃、お夕飯の仕度は私の仕事だった。んでその日はテンプラ。 氷はさっき、母ァちゃんが、衣を冷やすとイイとか言って出して行ったモノだった。 私はテンプラを揚げながら、ふと、 「コレ、入れたらど~なるのかにゃ~」 と氷を1つテンプラ鍋に入れてしまったのである。

当たり前だが、上の換気扇に届くほど油の噴水が上がった。 「もうダメだ。」そう思ったけど引火しなかった。セーフ~。 私的には、やっぱり"なんとなく実験してみたくなった"だけなんだけど。

死ぬかと思った。

 

胃カメラを飲む

先日、健康診断で胃にポリープできてると言われて胃カメラを飲む。 まず、肩に胃の動きを止めるイターイ筋肉注射を打たれて、 優しい白衣の天使(看護婦)に薬剤がよく効くように注射の跡を 揉みこまれ、のどに麻酔をかけられ、マウスピースみたいなものを くわえさせられ、さぁ、入れますよって。

のどから胃までのたくり、 這いながら進んでいく感じは気持ち悪いし、串刺しの拷問? 涎はたれるし、涙は滲むし、横向きから仰向きに体位を変えたら、 溜まってた涎が流れ込んでむせかえってるのに、医師や看護婦は 冷静なまま作業を続けるし、ほんと、死ぬかと思った。

検査結果は小豆と大豆の大きさのポリープが5個。 切除手術も串刺し状態だそうで、この次も死ぬかと思うかしら… 慣れれば平気になるんでしょうか?

   

24時間放置した使用済みコンドーム

決っして好きなニオイではないのですが、一応ご連絡まで。 使用済みのコンドームを入っていたパッケージに入れてさらにそれをティッシュで折 りたたんで24h以上放置しておいたもの。(夏期限定。)

あれは暑い夏の日の出来事でした。 私の家でHした時、使用済みのコンドームをゴミ箱に捨てておいて万が一親が発見したらヤバイと懸念した私たち。 彼の誕生日にプレゼントしたバックに先に述べた状態にして、 とりあえず突っ込み「後で外で捨てちゃえばいいよね」といって出かけました。 私どもはすっかりその存在を忘れてしまい次の日に発見。 尚、発見してもソレがなんなのか思い出せない。 きれいにおりたたんであるティッシュの塊を彼の誕生日にプレゼントしたバックから取りだし、 「・・・これなんだっけ?」 とりあえずソレを鼻もとに持っていくと・・・・「ボへェッ!!!」本当に死ぬかと思った。

夏の暑い日、バックの中でまる1日熟成されたソレはたとえようのないにおいを放つ 塊と化していました。

その後、学習力のない私どもは何度かバックの中で使用済みコンドームを熟成させて しまいソレを創りだしてしまいました。その度に、彼は嫌だといいながらもさりげな くソレを鼻もとに持っていく姿を私は確認しました。

においカミングアウトに投稿しようかと思いましたがソレを鼻もとに持っていった瞬 間の感想は 死ぬかと思った でした。

 

エジプトで首が麻痺する

エジプトの王家の谷でファラオの墓を見た夜、 人の気配を感じて目が覚める。 見るとエジプトの兵士の「首」が!うげ。 夢であってくれ~と再び寝入って現実逃避。

翌朝起きてみると死にそうに調子悪い。吐き気+下痢+ETC! また髪を引っ張られるように頭が後ろに下がって元に戻せない。 (↑空を見上げている状態) 数人がかりで頭を正常の位置に戻そうとしても戻らない。 口もきけず目も開けていられなくなり、ここで完璧に体は 麻痺状態。意識はアリ。

医者を呼んだかと思えば変なおっさんがやって来て 水を顔にかけたり十字を切ったり。 …まじない師?と直感で確信。結局病院に連れていかれる。

アメリカン病院という名のくせに英語喋れる医者ゼロ。 真夏のエジプトなのにクーラー無し。 友人は全く勘違いな病状を通訳→医者に伝える。 訂正したくとも口もきけず、間違った病状に基づいてお尻に注射をくらう。 大部屋だったので人が「一晩中」現地人が見舞いにやって来て異世界ムードたっぷり。 暑い。 などなど嫌な目に散々あう。

後日、退院の手続きを終えた友人が病室に現れた時、嬉しさのあまり 涙がポロリ。

あ~、死ぬかと思った。

   

ビリッと黒こげ。

子供ってなんてバカなんだろう。 私も子供の頃はご多分にもれずバカだった。 小学校4年生の時に右腕を骨折した。これも結構バカな理由だったが、問題はその後です。

利き腕を骨折するとかなりヒマです。私もヒマを持て余していました。 小学生の頃に買ってもらう学習机には、カギの付いている引き出しがありますよね。 そして大抵、電気のコンセントも付いていますよね。 なんでかなぁ、あの時の私はギプスはきっと電気を通さない!って急に思いました。 そして学習机のカギを電気のコンセントの穴めがけてグッと差し込んでみました。 もちろんギプスのはめてある折れた右腕で。 バババッ!ってスパークしました。私の右腕が。 指が真っ黒になって、ギプスの先の方が真っ黒になりました。 よくタイムボカンとかのアニメで、感電するとガイコツが透けてチカチカしますよね。 感電ってまさにあんな感じです。

死ぬかもしれない事をした後なのに、私はこの時ギプスは電気を通す!って思いました。 バカだなぁ。全然解ってない。

そしてこの黒こげのギプスについて、親や医者の先生にどう言い訳しようかと、それ ばかり考えていました。

こんなバカな理由で死ぬかと思ったし、死ななくてよかった。

29歳 デザイナー