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股間を思い切り鉄棒で強打

(まめ 18 女性 )

あれは小学四年生のころ。学校が終わってから公園で友達と待ち合わせしていたが待ち合わせの時間に友達は一向にこない。そのころは携帯とか持ってなかったからとりあえず待つしかない。
ただ待つのは暇だからあたしはブランコの回りにあった鉄棒ちっくな形の柵の上に立ってバランスをとって遊んでいた。やっぱり友達はこない。今度は柵の上でバランスを取りながら歩いてみた。
フラフラしながら。フラフラフラフラ・・・・・つるっ。足が滑ってバランスが崩れたあたしは落下した・・・かった。落下したほうがまだ楽だった。
バランスを崩したあたしは股間を思い切り鉄棒で強打した。男の子の苦しみをあたしは小学生で身をもって経験した。この時点で死ぬかと思った。
だか強打したあと、あたしの股間からなにやら液体が出てきていた。おしっこかな?と公園のトイレに駆け込んでパンツを下ろすと・・パンツが真っ赤・・・そのころあたしはまだ初経を迎えていなかったので大量の血が自分の股間から出ていて真っ青になって家に帰った。とりあえず家に祖母しかいないのでこの惨状を報告。祖母から成人用おむつをはかせてもらった。
しばらくしておしっこがしたくなっておしっこをしたら、言葉にならない激痛が股間に!!!大声で泣きながらおしっこしました。
で仕事を抜けてきた母はきっとあたしが初経を迎えたと思ったのか産婦人科につれていきました。
ベッドに寝かされ足を開かされてまた激痛が!!!先生は、今すぐ大病院につれて行きなさいと母に言いました。もうあたしはわけもわからず大病院へ。
そこで言われたのは「入り口が避けている。今から縫うよ」でした。縫う=手術があたしの頭に浮かんで真っ青になりました。
でも先生が「でも小学生で手術かわいそうだしおしっこするの痛いけどほっといても治るからやめとく?」と言った瞬間、あたしは首はこれでもかと縦にふったのを覚えてます。あー死ぬかと思った。

 

葬儀中に故人の足踏む

(今は花屋の店主 30歳 男性 )

僕は花屋に勤めています。
花屋といっても店頭に出て接客するのではなく
僕の担当はお葬儀の祭壇などを専門にやっていました。
ある日、自宅でのお葬儀の仕事が入り、早速準備をして
ご自宅に向かいました。
小さな部落のお葬儀でご近所の人たちが祭壇を組み立てるのですが、久しぶりの組み立てになかなか完成しない。
でも亡くなったおじいちゃんも大往生の老衰で悲しみよりも人生を全うしたなんか言って和やかなムードの中で朝からお酒を飲んじゃう始末。
完成しないっていうより完成させる気がないようにも思えてきました。
しかもおじさん達は僕にお酒を勧めてきて困り果てた時、おばさん連中が助け舟を出してくれました。
助かった~なんて思っていたら、
おばさんは仕事中のお兄ちゃんにお酒はダメでしょ!
お昼が近いんだからお昼ご飯食べなさいとこれまた迷惑な助け舟を出してくれました。

僕の仕事は祭壇を作って終わりではなく、その後にスタンド花も作って届けなければなりません。
自宅葬の場合は結構大変でいつもお昼なんて食べている場合ではありません。
でも、断ることもできずにお昼を頂きました。
食べ終わる頃には祭壇の台もどうにか完成。
ようやく花を挿す頃にはもう13時、急いで完成させて15時位に会社に戻りました。
普通であればこの時間位にはもうスタンド花を完成させて向かっているような時間。
急いで作ってまたご自宅まで猛ダッシュ!
着いた時には16時半、もう通夜まで1時間半!
ご自宅もお葬式場らしくなっておじいちゃんもお棺に入る準備が始まっていました。
スタンドのセットを急ぐ、僕は申し訳ないと思いながら、納棺の準備を横目にスタンドを運んでいました。
狭い部屋に祭壇やらいっぱいの親族達、歩くのも大変な中、合間を縫って運んでました。

親族達もようやく悲しみに泣きながら葬儀屋さんの説明を聞いたいました。
その時でした、おじいちゃんの寝ている布団の横を通っていた僕はバランスを崩し、思わず、右足で布団を踏んでしまいました。
その瞬間です。
ゴキッ!!
なんか鈍い音とへんな感触。
そう、思いっきりおじいちゃんの足を踏んでしまったのです。
それも布団の上から見ても分かるくらい変な角度に曲がっています。
たぶん、骨折してしまったと思います。
鈍い音に気付いた親族も絶句でした。
その中で、何も知らないフリをしてしまった僕はあせりの汗が尋常じゃないくらいに出てました。
あの時は死ぬかと思った。
ってか祟られるのかと思った。

 

ししゃものたまごが飛び出す

(マナタカ 24歳 女性 )

小学生の時、給食にししゃものフライが出ました。
普通に食べていましたが突然の咳がでてしまいました。私が咳を一回する度にししゃものたまごが口から飛び出し周りの友達の給食めがけて飛んでいきます。周りからは「きたねー」「やだ~」などと言われていましたが止める事が出来ず、苦しみながらも死ぬかと思った。

 

救助用ソリでクラッシュ

(小ヤギ 34歳 女性 )

私の小学5年生の体験です。私の生まれは北海道の片田舎で冬の体育の時間は近くの山でスキー授業でした。
山は整備もされているわけもなく、もちろんリフトはありません。
だから頂上まではスキーで登ります。当時の記憶は曖昧ですが、傾斜も結構ありました。

でも道産子の子供達ですから、楽しく体育の時間を過ごしました。

体育は必ず午後からでその後は現地解散だったので、山小屋にスキーを置いてそれぞれ帰るのです。

その山小屋には非常時の時の救助用のソリがありました。

私を含める男女6人それに乗りたくて乗りたくてたまらなくなり、事が起こりました。

先生達が帰るのを見届け、頂上までそのソリをロープで引っ張り、6名全員乗り込みました。

もうみんなテンションはあがりまくり、ワクワクでした。ところがスタートしてすぐにその加速がヒートアップ、降り落とされる者や恐怖の悲鳴や、雪煙りが舞うスキー場が私の最後の記憶。

起きると病院のベッドでした。私と後ろに乗ってたMちゃんは山の谷の方まで滑り落ちて立ち木にぶつかってたそうです。

私は上腕を骨折、Mちゃんは頭を5針縫うケガでした。 その後鏡を見てびっくり!!私とMちゃんは笹の葉で切れたらしく、顔には無数の切り傷がありました。Mちゃんも私も死ななくて良かった。ほんとに死ぬかと思った。

 

歯医者で忘れられる

(名無し )

中学生ぐらいの頃、小さな歯医者にかよっていました。

で、その歯医者で歯を抜くことになったんです。麻酔をうたれてわが身を先生にまかせていたら、外で「キキーッ!ガシャーン!!」という効果音が。聞くところ誰かがバイクに轢かれたようです。すると先生が「ちょっと待ってて。」といい僕をおいて外に。僕は寝台のうえでだれにでもなく一人身をまかせていました。ちょっとするうちに麻酔がきれ、いわれもない痛みが僕を襲いました。「先生ー!こっちも大変!!」と心の中で叫ぶもむなしく、その後小一時間その痛みと壮絶な闘いを繰り広げていました。

バイクに轢かれた人も死ぬかと思った(死んだのか?)だろうが僕も死ぬかと思った。

 

ボウリングシューズの返却口から首が抜けなくなる

(しばらく不登校。 16歳 男性 )

つい先日の話です。
中学時代の友達とボウリング場に行きました。そこで二時間ほど遊び、借りていたボウリングシューズを返そうと思い、返却口(広い)に入れると向こう側の様子が少しだけ見えました。
「お、これは興味がある。」
と思い、少し顔を突っ込みましたが向こうが段ボールでおおわれていて、よく見えません。そこで何を血迷ったかシューズの出るところ(せまい)からのぞいてみようと思い、顔を入れるとなんと向こう側がよく見えます!
調子に乗り、もっと顔を突っ込むと店員(女)さんが現われてしまい目が合って相当あせり、急いで顔を出そうとすると・・・・抜けません・・・・。背中にイヤーな汗があふれ出したしたのは言うまでもありません。
死ぬかと思った。
その間も店員さんが変な眼で見てくるのも言うまでもありません。
「ヤバイ!ヤバイ!ヤバイ!」
心の中でそう叫ぶと友人が
「何やってんだよ?」
と言ってきたので
「・・・はさまった」
と小さく言うと周りの友人にもどんどん広げていくではありませんか。そーこーしてるうちに店長さんらしき人が
「あのーお客様、そういうのはやめてもらいますか?」
と、言ってきました。しかも後ろの方ではなにやら大量の写メールの音・・・。そう、やじうまが出現したのです。こんな無様なところを撮られまくりですよそりゃ。店長さんがどうしても抜けないことが分るとレスキュー隊まできてしまいました・・・。バールで無理やりシューズ口を広げなんとか脱出できましたが、やじうまの数が想像してた人数×3でした。
死ぬかと思った。

後日、請求金額十万円という紙が届き、親にバレた上に学校中にその時の写メールが出回っていました。
死ぬかと思った。

 

自分のウンコを握り潰す

(自称大阪人 30代 男性 )

半年ほど前の事でしょうか。
私は仕事の関係で福岡に行っておりまして、いつもよりグレードの高いホテルに泊まってやろうと【グラ○ド・ハイ○ット】に宿泊しました。
豪華なルームサービスを食し、食後にテレビを見ていたところ急激な便意に襲われました。
(恐らく、冷蔵庫の中にあったキンキンに冷えたお茶をいきなり一気飲みしたためかと・・・)

当然のようにトイレへ直行。そして当然のように便を済ませ、そして当然のように便を流す。
ふと違和感を覚え便器を覗くと、水とトイレットペーハーは流れているのに、私のその岩のように固く長いモノは、
便器の中の流れる部分に入りきらず、そこに橋を書けるようにぐでーんと横たわっているではありませんか。

何度流してもウンコは向きを変えず、ただ虚しく水が流れるだけ。
もちろん私も焦ります。
『私の頭の中:ヤバイ、ここはハイ○ットやで、ウンコ流さないでルームメイキング呼んだ客とレッテル貼られたらどないするんや・・・』
ますます焦る私、そしてますます混乱する思考。そんな中、一つの考えが浮かびました。
『私の頭の中:そうや!このウンコさえ小さくなれば流れるんやないかいッ』
そして自らの手をトイレットペーパーでグルグル巻きにし、自分のウンコを握り潰すという荒業に出ました。

ぐにゅぅ・・ぐにゅぅ・・・

あの時、自分のウンコを握り潰した感触は今でもハッキリと覚えています。もちろん、その後に備え付けの新品の石鹸を半分ほど使うぐらい手を洗ったのは言うまでもありませんが・・・。

高級ホテルで自分で出したウンコを自らの手で握り潰す・・・

本当に死ぬかと思った。

 

ショベルカーに砂ごとすくわれる

(サイコロK 38才 男性 )

小学校低学年当時、自宅のすぐ横にコンクリートを作るための砂の集積所があった。小学校で「蹉跌」を探してきなさいという宿題と磁石をもらった私は友達とそこで蹉跌を探していた。(実際のところその砂の中には蹉跌は全く無かったが)

建材店の従業員がやってきて、
「おーい、どけよー」
と大声で言ったのが、なぜか
「おーい、乗れよー」
に聞こえた私はショベルの部分に乗せて遊んでくれるのかと勝手に勘違いして友達を誘ってショベルの部分に並んで腰掛けた。するとショベルカーのエンジンがかかり、すぐさま地面をショベルがこする。

轟音とともに砂の山に向かってまっしぐら。そのあとは何がなんだか分からないまま砂ごとすくわれ、気がついたときには周りに何人も大人が集まっていた。死ぬかと思った。

そのときに体中の穴という穴に入った砂の味とショベルカーのエンジンの音が忘れられず、1年以上も砂場に近づけなかった。

巻き添えにした友達はそれ以後友達ではなくなった。

 



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